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なぜか評価?「今に語り継がれるその『潔さ』」

 こうして「国会酔虎伝」とも呼ばれた、前代未聞の国会内大トラ騒動は一応一件落着となったが、問題はこの後にも影響を及ぼした。泉山は12月14日、辞表提出後、記者に囲まれた際、「疲れていたので……。しかし、申し訳ないことをした。酒が骨まで染み込んでしまったんだね。諸君も気をつけなければいけないよ」と話しただけで、多くを語らなかった。そうした態度に「出処進退が潔い」という見方も出てきた。ある俳句雑誌の1949年2月号にはこんな句が載っている。

冬の雨が泉山三六に同情す

 約30年後の週刊読売1977年8月10日号の「人間ドラマ どうしているかあの人・この人」は泉山を取り上げ、「一言の弁疏釈明もせず、幹事長の制止を振り切って、さっさと蔵相、経済安定本部長官、物価庁長官、経済調査庁長官という兼務の要職4つとも捨てた。いや、それだけでなく、いさぎよく代議士までおりてしまった」と記述。「今に語り継がれるその『潔さ』」という中見出しを付けている。国会は予定より遅れて1948年年末に解散したが、翌1949年1月に行われた選挙には周囲の忠告で出馬しなかった。

辞職を報じた朝日新聞

泉山は全国7位で再当選 山下は「女性らしくない」で落選

 しかし、著書のタイトルにもしたように、「トラ大臣」が逆にキャッチフレーズになって人気を集め、酒についての文章やコメントを求められることも多かった。和服を好み、俳句もひねる。一見英国風の紳士だが、実際は軽妙洒脱な粋人政治家というプラスイメージになって定着したようだ。約1年半後の1950年6月、参院選全国区に立候補して約39万6000票を集め、全国7位で当選した。

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 逆に山下はその衆院選で落選した。元々酒豪で知られていたうえ、衆院本会議や懲罰委員会での態度が「しゃべりすぎ」「女性らしくない」と受け止められたのだろう。その後復活し、参院議員も務めたが、事件については口が重かったようだ。議員に復帰後、文藝春秋1952年12月号で同僚議員の大石ヨシエと対談。「男が酒を飲んでよくて、なんで女が飲んではいけないのか」と2人で慨嘆しているが、事件には具体的には触れていない。

大石ヨシエ氏 ©文藝春秋

 週刊ポスト1970年8月14日号でインタビューに答えているのがわずかな機会か。そこでは、泉山が、山下からつがれた酒を口に含んで「これはまずい。熱海にもっとうまい酒があるから、熱海に行こう、アタミに行こう」と繰り返したと語っている。それから後の泉山の行動は当時の証言通りで、「私には何も悪いところはないのよ。ところが、これで何もかもオシャカ。翌年の選挙で私は見事に落選しちゃってサ。かみつかれた被害者なのに、私まで酔っ払いのハレンチ扱いされてねえ。とんでもない話じゃないの」と振り返っている。