長谷川伸は、流れ者のやくざ=渡世人の物語を主に描いてきた時代小説家だ。
「一本刀土俵入」「沓掛時次郎」「関の弥太っぺ」「雪の渡り鳥」――いずれの作品も、アウトローとしての孤独と哀愁を背負い、「渡世の義理」と「人情」との狭間で葛藤する者たちのドラマが涙を誘う。映像化もかつては数多くされていて、中でも一九六〇年代の前半から半ばにかけて東映が中村錦之助主演で作った映画『関の彌太ッぺ』『沓掛時次郎 遊侠一匹』は、いずれも名作としての誉れが高い。
今回取り上げるのは、同じく長谷川伸の代表作を東映=錦之助の座組で映画化した『瞼の母』。監督も『遊侠一匹』も撮っている詩情的演出の名手・加藤泰なだけに、二作に負けず劣らず泣かせてくれる作品に仕上がっている。
渡世人・番場の忠太郎(錦之助)には幼い頃に生き別れた母がおり、その姿を求めて当て所なくさすらいの旅を続ける様が描かれる。
折り目正しく仁義を通し、人情も厚く、喧嘩も強い。そして、どこまでも母を慕う。そんな忠太郎を、気風の良さの奥底に憂いを秘めた芝居で演じる錦之助がたまらなくカッコよく、また愛おしい。
たとえば序盤。血気盛んで駄々っ子のような弟分・半次郎(松方弘樹)と、息子を堅気にするために毅然と接するその母親(夏川静江)の様を目にする場面。「おめえが本当にうらやましいよ」と言い残し、半次郎の抱えたトラブルを自身が引き受けると誓って去ろうとするのだが、この時の優しさと寂しさを帯びた口跡――惚れ惚れする。
その後の、「上下の瞼ぴったり合わしてじいっと思い出しゃあ、会わねえ昔のおっかさんの面影が出てくる――」と目を閉じて涙を流す様も心を揺さぶられる。この時、加藤泰は錦之助の表情を長回しのアップでじっくり捉え、BGMの甘いメロディと合わせ、しっとりとした「泣かせ」の演出で思い切り盛り上げる。
他にも、路上で暮らす貧しい盲目の老婆(浪花千栄子)や老いた夜鷹(沢村貞子)といった、どこか母の面影を感じさせる女性たちとの触れ合いも、心温まるものがある。
そして、ついに訪れる実母(木暮実千代)との再会。名乗りをあげる忠太郎だったが、突き放されてしまう。気持ちは動いていたが、築き上げたものを守るため渡世人を我が子と認めるわけにはいかなかった。その想いに気づかず、忠太郎はただ悲嘆に暮れる。
ここまで涙まみれに描いておいて、さらに最後にもう一つ泣かせ所があるから凄い。
長谷川伸の描いた情と哀愁を完璧に映像化した、どこまでも泣かせてくれる作品だ。