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映画の勉強をしにアメリカ留学

「我々の時代はアメリカ全盛期で、ブルース・スプリングスティーンとか、映画でいうと『アウトサイダー』とか。それでアメリカに憧れて、映画の勉強をしに行きたいなと思ってたんです。最初は英語学校に行って、その後カレッジに行ったんですけど、18歳ですからほかの事が楽しくて。ほぼ学校に行かなくなりました(笑)。

 ちょうどその時、LAの寿司屋の大将から声かけられて。本物感出すために、寿司握れないのに日本人の自分が花台に立って作ってるふりして。本当は裏でメキシコ人が作ってるんですけど。楽しかったですよ、最終的には寿司握れるようになりましたし(笑)。

“奇才”湯らっくす・西生吉孝社長

 色々勉強させてもらいました。2年ぐらい寿司屋にいたんですけど、そのうちクラッシックカーがすごく好きになりまして。クラッシックカーの工場に通うようになったんですよ。当時は日本人がいっぱい買いに来て。所ジョージさんとかも買いに来られてましたね。僕は展示会場内で名車の運搬を担当したりしていて。そしたら大将から、『寿司屋か車屋やるか、どっちか選べ』と言われて。もう車がやりたくて仕方なかったので車の方に行って、さらに大学からも呼び出しくらって。それで『お前もうだめだ、日本帰れ』と言われて。

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 でも、帰る前にやっぱり、ニューヨークに行っとこうと思って。『もう一つの映画の都』って言ったら、ウディ・アレンのいるニューヨークじゃないかなと。映画ですごく有名なニューヨーク大学に、とりあえず記念に願書だけ取りに行こうと思って。行ったら、受付の黒人のおばあちゃんに『お前何者だ』と言われて。『願書取りに来たんだけど』と答えたら、『ちょっとお前こっち来い』って連行されて。それで『俺、寿司屋やってて』とか色々身の上話をしたら、『お前面白いから大学入れてやるよ』って、その人に入れてもらいましたね、大学に。アファーマティブ・アクションっていうのが当時あって、女性とか黒人とか有色人種とかにも平等に教育の機会を与えましょうというプログラムなんですね。その人は大学のそこを統括する一番偉い人だった。こんな機会絶対ないからと、それからちゃんと勉強し始めましたが、大変でした。勉強したことがなかったので1ページ読むのに30分くらいかかってましたからね、教科書を読む時。でも、これラストチャンスだなと思って、勉強ばっかりしてましたね」

浴室内に書かれている“湯らっくす7つの体験”
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 転んでもただでは起きない引きの強さ。これは西生の天賦の才といっても過言ではない。そしてその引きの強さが、ある事件をも巻き起こす。