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▽1945年7月8日。横浜地裁は馬鈴薯(ジャガイモ)を盗んだ工員を撲殺した市農事実行組合自警団員を正当防衛に準ずると起訴猶予に。

▽1945年10月2日午前7時ごろ、東京都目黒区上目黒の東宝撮影所社員(38)が弟(28)を殺害。前夜配給された芋をめぐってけんかになり、胸のうちが収まらなかった兄が翌朝、用便中の弟を肉切り包丁で刺した。

▽1946年4月22日。東京都葛飾区小谷野町の無職男性(62)方で、結核で病死した妻(54)の葬式の際、行方不明になっていた男性の死体を発見。失踪していた次男が逮捕され、犯行を自供した。父が母に暴行を加えたことから、家計簿をつけて父の金の使い方を監視。父が貯金を下ろして闇市に買い物に出たときに、家族に内密で外食したことが分かった。口論になり、買ってきた魚を焼いていた父の頭を玄能で20~30回殴って殺した。

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食糧難からの犯罪が頻発した(朝日)

「敵を倒すか自分が死ぬかの凄絶な体験」の後遺症

 こうした犯罪の背景には戦争による心の荒廃があった。1949年の下山事件で自殺説を打ち出したことでも知られる法医学者の中舘久平・慶応大教授は同年の雑誌に載せた文章で「戦後、自分の生命であろうと他人の生命であろうと、戦前のように大きな価値が認められなくなり、戦場における、敵を倒すか自分が死ぬかの凄絶な体験は、自己保存の本能を強烈なものとした。そのような精神の荒廃は、直接戦争を経験した者のみに限らない」と述べている。

 いいだ・もも「戦後史の発見 上」はこんなことを書いている。「同じ年(1945年)の12月6日には、イモ泥棒をやった母娘を感電死させた電気商のオッサンが懲役2年の判決を受けています。刑の軽さに注意してください。それほどイモ1個の重量は重かったのです。人間の生命がこうも簡単にささやかな食糧と交換できる状態、あるいは、アタマにくるほど腹が減る飢餓状態は、まさしく戦争の後遺症がもたらす、もう一つの残酷な面といえるでしょう」。

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 雑誌「ルック・エンド・ヒヤー」1949年6月号の「人殺し世相」というエッセーで、戸川行男・早稲田大教授は当時の世相に絡めて極論を述べている。「皆が犯人は犯人は、と自分のことを棚に上げて犯人のことを語っているが、われわれ自身、泥棒でもやらないことには生きてゆけぬではないか」。