そうした心身の貧困は一見華やかに見える芸能界でもそれほど変わらなかったようだ。
「毎日情報」1951年12月号所収の久住良三「経営白書 歌舞伎の経済学」は指摘している。「それが戦後のインフレで、彼ら(舞台役者)は一度に河原乞食そのままの最低生活に転落してしまった。猿之助が自転車で楽屋入りする。三津五郎が満員電車で圧し殺されそうになる。昨年死んだ井上正夫(新劇の有名俳優)が東劇の楽屋に泊まっていて、弁当のお菜に、裏の築地市場からナスを2つ買って、焼いて醤油をかけて食いながら『おいしいが、1つ20円(2019年換算約810円)はつらい』とこぼしていたなど、みじめな話がたくさん伝えられた」。
仁左衛門の家ではどうだったか。「週刊朝日」4月14日号は、近所の人の話として「盗み見するわけではないが、時々目に入る仁左夫妻の食事は、お膳の下にごちそうが隠され、主人側の方がまるで盗み食いをでもするようなえげつなさであった」と書いている。
「忠臣蔵」も「勧進帳」もダメ
実は事件のころ、歌舞伎は存亡の危機といっていい運命の岐路にあった。占領行政に当たった連合国軍総司令部(GHQ)は、日本が戦争を引き起こしたのは封建思想を引きずったまま民主主義が発達していないためとして、その除去を打ち出した。河竹繁俊「日本演劇全史」にはこう記述されている。
まず映画を主とし、演劇を従とした指令が発表された。そうして混沌、虚脱状態に陥っていた芸能界に次のような目標を与えた。
日本における映画・演劇の根本的問題は次のごとし。
封建主義に基礎を置く忠誠・仇討ちを扱った歌舞伎劇は現代的世界とは相いれない。反逆、殺人、詐欺などが公衆の面前で正当化され、個人的復讐が法律に取って代わることが許される限り、日本国民は現代世界の国際関係を支配する行動の根源を了解することはできないであろう。
1945年11月9日、GHQは13項目にわたる映画・演劇の禁止事項を指示した。その中には「仇討ち、復讐に関するもの」「封建的忠誠心や生命の軽視をたたえるもの」「自殺を是認したもの」「婦人への圧政を是認したもの」「残忍・非道・暴行を謳歌したもの」など、映画や演劇の重要な題材が含まれていた。
11月15日、GHQが東京劇場で上演中の「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」の中止を命令。「日本人から総司令部に投書があって、民主化の強く叫ばれているときに、代表的な身替り狂言であり、封建的忠誠を礼賛した『寺子屋』をやるとはけしからんという意味のものだった」(「日本演劇全史」)。
同書によれば、著者の河竹繁俊・早稲田大教授や松竹関係者とGHQ担当官が協議。劇中に現れる人物として日蓮上人、北条時宗、楠木正成、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らは、侵略的、忠君愛国・勤王の象徴とみなされて不可。水戸黄門も駄目。