数日間記憶がないという主張は寝ぼけでは説明できないが「激情暴発を機会に心因性の朦朧状態が引き続き起こり、これが数日間続いたのではないかという推測も学理的には決して背理ではない」として次のように結論づけた。
数カ月来、著しい低栄養の状態に置かれたために自己保存本能をいたく刺激されて、当時の被告人は感情的に平衡を失っており、ことに主家の夫人に対して緊張した感情を順次蓄積しつつあった。たまたま犯行前夜、仁左衛門夫妻との間に同様の問題に関して一層深刻な葛藤を生じ、そのために発した激情をかろうじて抑制して床に就いたわけである。その後数時間を経て行われた凶行は、清明な意識の下に行われたとも、また睡眠中、被告人にしばしば起こる寝ぼけの朦朧状態の下に行われたものとも考えられるが、これを正確に決定することは困難である。
しかし、いずれにしても数カ月来、特に前夜来蓄積されていた激情が、有形無形の力となって被告人の暴力行動を著しく強力なものとなし、行動の逐一を正確に追想できぬほどのものとなしたことは疑いの余地がない(「精神鑑定」)。
命が軽かった時代?
仁左殺しに無期懲役
片岡仁左衛門丈一家5名を皆殺しにした飯田昭(23)に対する公判は22日午前10時から東京地方裁判所で開かれ、相馬裁判長から無期懲役(求刑死刑)の判決言い渡しがあった。
翌1947年10月23日付読売2面に短いベタ記事が載った。朝日、毎日、東京もそろって同じ扱い。戦後の犯罪多発期、事件は既に過去のものになっていたようだ。5人も惨殺して無期とは、と当時も多少は話題になったのではないか。
「月刊警察」1992年4月号掲載の大林茂喜「岩田政義昭和の事件帳 食の恨みの仁左衛門一家五人殺し」は「前年、牛泥棒を働いた母娘を感電死させた電器商がわずか懲役2年の判決にとどまったことをみても分かるように、当時は生命がこうも簡単に食糧の恨みと交換できた時代であった」と解釈している。命が軽かった時代ということか。