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「誰かに見られているのでは」

 青木惠子さんと一緒に外出すると、不思議な光景を目にすることになる。除菌ペーパーである。食事の席で、講演会場で、裁判所で、青木さんは行く先々で、自分が座る椅子や机を丁寧に拭く。一種異様な光景だ。

「(警察に)捕まってから、人を信用できなくなった精神状態っていうか、怖いのよ。誰が座ったかわからないから、拭かないとそこに座るのは無理。神経質が一段とすごくなっちゃった」

 逮捕から20年間という長い年月、青木さんは自由を奪われていた。誰も信じられないという思い。それが極度の人間不信と潔癖症を招いたのだという。

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「娘殺しの母親」の汚名をそそいだ青木さん。だが「無罪」になっても世間の人がみな「無実」を信じてくれるわけではない。インターネット上には無実を疑う誹謗中傷がいまだにある。だから青木さんはネットを見ない。そして見知らぬ人の目が怖い。電車に乗っていても「誰かに見られているんじゃ?」と視線を感じるという。

仏壇に飾られた写真は8歳の時に写真館で撮影したウェディングドレス姿のめぐみさん

 最近、知り合いとともに近所の居酒屋に入った。何度か利用したことのあるお店だ。これまでは何もなかった。ところがこの日は、店にほかのお客がいなくなったあと、店の人が話しかけてきた。

「あの~、青木惠子さんですよね。これまで遠慮していたんですけど、初めてお店に来られた時から気づいていました」

 それは好意的な意味で話しかけてきたようだった。だけど自分のことを知っている人がいろんなところにいると思うと、落ち着かない気分になる。もう一軒、繁華街にある焼き肉店でも同じように店の人に声をかけられた。

「どこで誰に見られているかわからないから、ものすごく緊張する。車を運転していても、交通違反は決してできないわ。事故なんてもってのほか。『あの青木惠子が』って言われるんだから」

 青木さんが逮捕された当初、週刊誌には連日センセーショナルな記事が躍った。「実の娘を焼き殺した“鬼母”」「強欲主婦の“鬼畜”」「家事もせず、食事はほとんど外食ばかり」「カード生活で家計破綻」……こうした記事が青木さんについての世間の印象を大きく左右したことは間違いない。しかし、こうした記事から透けて見えるのは24年前の時代背景だ。「母親は手料理を子どもに食べさせて当然」という考えがあるから、「そうしない母親は子どもを大切にしていない」、そこから「子どもを殺すかもしれない」という思い込みにつながったのだろう。家事が苦手な女性に対する偏見と言ってもよい。記事は「家事をしない母親」→「外食などで浪費」→「カードローンがかさむ」→「娘の保険金を狙った殺人」という構図が共通している。

 やり直しの裁判で、青木さんの無実は完全に証明された。放火は不可能、自白はすべて無理矢理、火事は自然発火とみられる。灰色ではなく真っ白な無罪と言ってよい。それでもなお疑いの目で見る人はいる。一度染みついた印象は、なかなか覆らない。

 では、青木さんと娘のめぐみさんとの関係は、実際はどうだったのだろうか? 以下は青木さんの話だ。