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 高校生のころまではそんなに子ども好きという訳でもなかったの。でも卒業して就職して、子供服売り場で働くようになったら、子どもが大勢来るじゃない。それを見ているうちに「子どもってかわいいなあ」と思うようになって、どうしても子どもが欲しくなったの。欲しくて欲しくてできた子だから、大切に決まってるでしょ。勤め先は日曜も仕事があったから、めぐちゃんと遊びに行きたくて辞めたわ。

 私は料理が苦手。実家にいたときに習うこともなかったし。夫は料理が上手で「いいよ、いいよ」って全部してくれたから、私は甘やかされて料理ができないまま。だから料理を作ることが少なかったのはそうだけど、それでも遠足なんかでは必ずお弁当を作って持たせていたのよ。

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 でも夫が働かなくなって生活が苦しくなった。小銭を集めてやっと「かっぱえびせん」を一袋買ってめぐちゃんに食べさせたこともある。めぐちゃんが「ママは食べないの?」と言ってくれて、私は「ママはいいから」と言って全部食べさせたっけ。

 そのうち夫が蒸発して、私は家計のため、夜、スナックで働くようになった。めぐちゃんの小学校の先生から「スナックは辞めて下さい」って言われたけど、辞めてどうやって稼げって言うのよ。結局、店に来ていた男と一緒に暮らすようになって店は辞めたけどね。それが「内縁の夫」。私の感覚では同居人だけど。彼と一緒に暮らすようになったのは、生活が助かるから。子どもたちを育てるのに不安がないと思ったから。子どもたちのためだったの。それがこんなことになるなんて……。

一人で全国を飛び回る日々

 青木さんと話していると、亡くなっためぐみさんへの愛情と後悔の念がひしひしと伝わってくる。それに私から見ると、青木さんは魅力的な「大阪のおばちゃん」だ。おしゃべりでおもろい大阪のおばちゃん。こういう人が娘を殺すだなんて、よく思ったものだ。

 もっともご本人にこう伝えたら「おばちゃんって言われたの、相澤さんが初めてよ!」という反応が返ってきた。やはり女性に「おばちゃん」は失礼だった。まして青木さんは「心は31歳」だから……。

 ただ、いつも思ったことをズバズバ言うから、場の空気が凍ることもある。空気を読まずに切り裂く、という感じだ。そのあたりが一部で周囲の反発を招くことになったのかもしれない。

 24年前、青木さんが取り調べを受け、逮捕された大阪の東住吉警察署。青木さんは長年、その建物を見るだけで気分が悪くなっていた。ところが最近、東住吉警察署の建て替え工事が始まった。今は解体されて署の建物はない。青木さんが無理矢理自白させられた取調室も、もうない。

「えっ警察署がなくなっているって、びっくりしたわ。あそこには嫌な思い出ばっかりだけど、時代は変わるのよね」

解体工事が進む東住吉警察署。ここで青木さんは逮捕された

 今、青木さんは近所のパソコン教室に通っている。出所当時は浦島太郎状態でパソコンのことなどまったくわからなかったが、それではメールのやりとりもできないし、現代社会で生活するのに不便極まりないからだ。今ではタブレット端末を持ち歩き、毎日の日記を出先で入力しては自宅のパソコンに移している。スマホまで使いこなすようになったのは、2年前を知る私には驚きだった。

 以前は飛行機も新幹線も自分だけでは乗れなかったが、今では一人で全国各地を飛び回っている。3月には飛行機で熊本まで行き、「松橋事件」という冤罪事件の再審無罪の判決を傍聴。支援者たちと喜びを分かち合った。しかし世の中にはまだまだ冤罪を訴えて苦しんでいる人たちがいる。この人たちのため、青木さんはこれからも支援活動に取り組んでいくつもりだ。

「私は一生懸命生きてきた。子どもたちを精一杯守ろうとしてきた。これからも真剣に生きていくわ。失った20年はもう何とも思わない。私は忙しいのよ」

 青木惠子さん。55歳。彼女の人生はこれからだ。