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 もともと積載物のための空間だった船倉には、甲板に上がる階段の数が少なかった。そのため階段とその周辺で大渋滞が起き、子供たちは速やかに甲板に上がることができなかった。上原は次のように振り返る。

「先生が『こっちだ!』と叫びながら誘導しようとしていたのですが、子供たちはなかなか上がってくることができないようでした。私は甲板にいたので助かりましたが、船倉にいた子たちは本当に可哀想だったと思います」

鳴り響いた「沈没を知らせる3回のベル」

 対馬丸の船員たちは、すぐに救命ボートを海上に降ろした。しかし、救命ボートの定員など微々たるものであった。船員たちはさらに、遭難時のために用意しておいたイカダを次々と海に投げ込んだ。イカダには木でできたものもあれば、竹を組んだだけの簡易的なものもあった。

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 やがて、大きなベルの音が3回、鳴り響いた。

「退船!」

「海に飛び込め」

 といった声があちこちからあがった。

 しかし、大型貨物船である対馬丸の甲板から海上までは、かなりの高さがあった。子供たちの多くは、恐怖から海に飛び込むことができなかった。

 やがて船員から、より強い指示が出るようになった。上原はこう語る。

「メガホンを持った船員が『飛び込み用意!』と大きな声で言いました。それで男の子たちは手摺によじ上り、横一列に並んで海に向かって立ちました。すると、学童のリーダーだった子が、船員からの命令の前に『飛び込め!』と叫びました。私たちはそれで一斉に海に飛び込みました」

©iStock.com

「先生、助けて!」「お母さん!」

 他方、次のような光景もあった。当時、11歳だった田場兼靖はこう記述する。

〈船のいちばん上の甲板では、船員が手あたりしだいに疎開者たちを海に投げこんでいた。私はなんとなく、船員から投げこまれるのがいやだった。自分でとびこもうと思った。そこには舷側がない。縁に立つと、一歩の差で下は海だ。だが、私はスクラムを組んだ2人がおじけているために、うしろへひっぱられて、とびこむことができなかった。

 船はずいぶんかたむいた。

(早く!)

 私はあせって、ひょいと足を出した。すると、私のからだの重みで、3人は海に落ちた。跳んだのでなく落ちたのだった〉(『対馬丸』〔大城立裕著 理論社刊〕)

 その後も、

「先生、助けて!」

「あんまー(お母さん)!」

 といった声が船上の至るところでこだました。その間にも、船はどんどん傾いていった。