〈娘の圭子が飢えと寒さのせいか、しだいに冷えていくのがわかったが、両親そろっていて8歳になる娘を救うこともできず、かわいそうにそのまま凍死してしまった。妻は冷たくなった幼い子の屍体をだいて、涙のかれるまで泣いた。私は、この幼い者のなきがらを海中に投じる勇気がもてなかった。もし私でも妻でも生きのびられるなら、どこかに葬むってあげようと、泣きながら、屍体を流されないようにイカダに結びつけた〉(『対馬丸』)
「あたり一面は真っ赤な血が…」跳びこんだ老人にむらがるサメ
また、田名によれば、サメによる犠牲者も出たという。
〈頭のおかしくなった老人が海に跳びこんだ。私たちがとめるのもかまわず、幾度もすきをみては試み、とうとう跳びこんだかと思うと、アッという間にむらがり寄る鱶(ふか)に食いつかれ、あたり一面真っ赤な血で染めて流れ、そして見えなくなった〉(『対馬丸』ルビは引用者による)
当時、中学生だった喜屋武(きゃん)盛守(せいしゅ)は、漂流時の光景を次のように回顧する。
〈イカダに乗れず、ロープをつかんで、ぶらさがったまま死んだ女がいた。背中に赤ん坊がいて、赤ん坊も死んでいた。船に積んであった爆雷にやられたのか、内出血をして、口から血をたらしていた。
この死体がにおいはじめた。死体をイカダから離そうとしたが、ロープをつかんだ手が硬直して、びくともしない。私はその指をむりやりこじあけ、海に流した〉(『海に沈んだ対馬丸』〔早乙女愛著 岩波ジュニア新書〕)
「ふと気づくと、夢を見ていました」
船員の中島高男は両足にケガを負いながらも、木や竹のイカダ6艘(そう)をロープで繫ぎ合わせ、そこに漂流者を乗せて救助した。救助活動に尽力することが、船員としての彼の矜持であった。
6艘のイカダには、中島を含め8人が乗っていたという。1人は赤ん坊を背負った女性だった。
そんな漂流生活中のある夜のことを、中島はこう記す。
〈夜の海上は見るものもなく、疲れたせいか眠くなってきました。ふと気づくと、どこか平らなところで長々と寝る夢を見ていました。考える力がなくなった頭の中は、ただゆっくりと眠りたいという思いばかりが強くなっていきました。