心の支えとなってくれた、あの二世の同級生
――当時は、バンド活動も心の支えになっていた?
紘毅 バンドは、同級生だった三浦貴大が誘ってくれたんです。ご存知だと思いますけど、お父さんが三浦友和さん、お母さんが三浦百恵さん。彼と、中学と高校の6年間にわたってバンドを組んでいて。
貴大って人気者で、学校のみんなから好かれていたんですよ。歌はうまいし、スポーツできるわで。僕にとってもヒーローでしたし。それと優しいんですよ。僕のことをイジるようなことは絶対にしなかったし、なんだか「貴大の横にいたら大丈夫」みたいな気持ちになれた。
――友人であり恩人みたいな。
紘毅 ライブをやっていて、僕がキーボードを弾いて、貴大が歌っているのを見ていると「カッコいいな。こりゃ人気者にもなるわ」と思うわけですよ。その時に「あっ、親父じゃないんだな」って僕がいじめられている原因に気づいて。単純に僕が鼻につくヤツだったんじゃないかって。そこに目を向けずに「親父のせいで」と、なにかあるたびに逃げていたんだと。
それを貴大に気付かせてもらったし、そこから周りの僕を見る目も変わっていったんだと思います。とはいえ、その頃の名残というか、その後もなにか壁にぶつかると「親父のせいで」と思っては「いや、違う違う。そうじゃない」って慌てて打ち消したりすることがたまにあるんですけどね。
家のピアノには触らせてもらえなかった
――ピアス引きちぎりのお話を聞くと、お父様は厳しいというか怖いですね。
紘毅 普段は怖くないですよ。怖いのは怒った時だけです。ただ、お小遣いとかそっち方面は厳しかったほうだと思います。
高校時代はお昼代を毎日もらっていました。1日につき千円で、学食でもコンビニでも一番安いものをご飯に選ぶ。それでお釣りの数百円を貯めていって、欲しい物を買ったり、遊びに行ったりしていましたね。
――紘毅さんがミュージシャンになるのを反対されて、小学校の頃は家にあるピアノに触れることを許されなかったと聞いています。
紘毅 姉と妹はピアノを習わせてもらっていたんですけど、なぜか僕は外されていましたね。でも、小学生の頃に親父がギターを弾いている時にコードを2、3個教えてもらってもいるんですよね。
――お父様には「音楽に触れてほしい」という気持ち、音楽業界を知っているからこそ「厳しいからやめておけ」という気持ちの両方があったのかもしれないですね。
紘毅 本格的に音楽の道に進みたいと言ったら「やめておけ」と何度も言われましたね。高3になると、進路を決めないといけないので、どうしようか悩んでいました。