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ジュノン・スーパーボーイは友達に誘われて

――では、まずはデビュー当時のお話から伺えればと思います。加藤さんのデビューのきっかけは、やはりジュノン・スーパーボーイ・コンテストになるんでしょうか。

加藤 本格的なデビューというと、ジュノン・スーパーボーイですね。その前から名古屋で『中学生日記』には出ていたんですけど、それは「ちょっとやってみない?」と言われてオーディションに行くだけ行ったという感じで。そしたら、周りは「あれやります!」「これやります!」って熱意のある子ばかりでした。僕は中学2年だったかな、適度にやんちゃしてたくらいの普通の中学生だったんで、生徒役として特にすることもなくて、ダラダラやってました。

――そこからジュノン・スーパーボーイに応募しようと思ったのは、何かきっかけがあったんですか。

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加藤 高校生活は普通に過ごしていたんですが、高3になったときに、今も仲の良い同級生から「ジュノン・スーパーボーイというのがあるんだけど」と言われたんです。それで誘われて、「いいよ、俺も一緒にやってみようか」みたいな感じで受けたら、トントン、トントンと進んで。

 今のルールは分からないんですけど、当時は地区予選みたいなものがあって、そこで勝ち残った人たちが、最終的に『ジュノン』の誌面に載るんです。それを見て、本人たちも自分が選ばれたことを初めて知るという。で、そこから3ヶ月くらい読者の投票があって、上位12人かな、それが最後の本選まで進んで、原宿のクエストホールでグランプリを決めるって流れでした。

 

 それで僕は、投票が始まったらずっと1位とか2位だったんですよ。誰も俺のことなんて知らないだろうと思っていたから、誌面で途中経過を見ながら「えっ、何これ?」「あれ、マジで?」って言ってましたね。

――軽い気持ちで受けたら、なんかすごいことになっているぞ、と。

伊藤英明さんと乗った「ムーンライトながら」

加藤 最終的に2位かなにかで本選に行くことになったら、スタッフの方から電話で「何やられます?」って聞かれたんです。そこで適当に、全く経験もないのに「ダンスです」って答えちゃって。そこからダンスがすごくうまい友達に「ちょっと教えてよ」って言って、即席で覚えてやったんですけど、本番では半分もいかないうちに忘れちゃって、ステージに突っ立ったまま終わりました。でも、結局、審査員特別賞をもらって。

――そのときのグランプリが柏原崇さん、準グランプリが伊藤英明さんでした。

加藤 そうなんです。特にヒデ(伊藤英明)は岐阜県出身で、家が同じ方向だったんで、東京駅から大垣駅まで走ってた「ムーンライトながら」という夜行列車で一緒に帰ったりしましたね。2人でデッキで色々話してからの付き合いで、同い年だし、今でもずっと仲がいいんですよ。