貿易に関しては景気は良かった
「ちょうどあの頃にロシアが、ペレストロイカ(1980年代後半からソビエト連邦で進められた政治体制の改革運動。ロシア語で、再構築(再革命)を意味する)のあとで、経済が結構厳しかったんです。色々な商売を考えた結果、友人が貿易をやっていたので、私もやってみようかと思いました。そして、日本に知り合いがいたので、すぐビザを作って来ました。
当時はバイクから電気製品までなんでも手がけましたね。一番よく売れたのは、日本のバイク。あとはマリンジェット、船外機、ボートとか本当に色々扱っていました。当時は日本の中古車が1日2000台売れた時代で、ウラジオストックからシベリアまではもう、ほとんど日本車が走ってました(笑)。なので貿易に関しては景気は良かったですね」
苦学しながらのシングルマザー生活
「まあ言葉は大変でしたね。ずっと働きながら生活していたので、ちゃんと日本語を勉強する時間がなかったから、来日して少しずつ覚えていきました。最初は、買い物に行っても何が欲しいとか伝えられないからすごく困って(笑)。せっかく話しかけてくれてるのに、返せないもどかしさも経験しました。今だったらスマホで簡単に翻訳できるけど、昔はそんなのなかったから、スーパーに行くにもどこに行くにも、子供の手を引きながらいつも2冊の大きな辞書を持って歩いて。いつも大きい重たいバッグを持ってた(笑)。あの頃は当たり前だったけど、今思うと大変でした。
その頃、娘は10歳で、2人で初めての日本での生活です。周りからは『大変だったね』ってよく言われるんですけど、私、何が起こっても大変と思わない性格なんです(笑)。他の人が出来るんなら、私もできるでしょ? 同じ人間だし、って。『やりたいならやる。でも絶対に無理はしない』が私の考え方だしやり方なんですよね。とにかく全て楽しんでましたね(笑)」
ロシアから来日し生来のタフさとバイタリティで、女手一つで娘を育てながら生計を立てていたアルビナに、ある転機が訪れる。