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特集観る将棋、読む将棋

2021/12/31

そこに藤井聡太がいた

 高田は今年3月に奨励会三段リーグを突破し、18歳でプロデビューを果たした。多くの棋士は将棋会館のある東京か大阪の近郊に住むが、彼はその後も岐阜県の地元に残る道を選んだ。県内で35年ぶりに誕生した棋士として、少しでも将棋普及に貢献したい思いからである。

 競争が苛烈を極める奨励会を、10代で抜けるのは容易ではない。高田は小学6年で奨励会試験に合格して、棋士になったのは同期の中で最初だった。しかし、同い年にはすでに先に棋士になった者が二人いた。小学5年生で入会して、今年度の新人王戦に優勝した伊藤匠四段。もう一人は小学4年で入会して、今や棋界の頂点に立つ藤井聡太竜王(四冠)である。

 高田はその日を楽しみにしていた。小学6年生の夏に奨励会に合格したことで、それまでVSを続けてきたアマ強豪の稲葉聡氏から、「研究会にも来てみないか」と誘われたのだ。稲葉聡氏は棋士の稲葉陽八段の実兄であり、奨励会員たちとの交友も多い。当日集まるメンバーの名前は聞いていなかったが、高田は強い相手と指せることに心が躍っていた。

 稲葉氏の家に着くと、そこには奨励会有段者や1級の先輩会員たちが揃っていた。6級の高田とはまだ手合いもつかない相手ばかりである。そしてもう一人、同い年の少年がいた。藤井聡太2級(当時)である。

 

「感想戦でも自分の意見をはっきり言う」

 高田が将棋を覚えたのは小学3年生のときで、その頃に藤井は全国小学生倉敷王将戦・低学年の部で優勝している。2年後に高田は全国大会に初めて出場するが、藤井はすでに奨励会に入っており、大会で顔を合わせることはなかった。だが藤井を見たのは、この日の研究会が初めてではなかった。

「僕は小3の終わり頃から東海研修会に通い始めました。70人くらいの子どもたちが来ていて、みんなレベルが高い。将棋を始めて半年でアマ初段になったので自信があったのですが、そこではなかなか勝てなかった。その中で自分と同じ歳なのに、大きなお兄さんたちといつも指している子がいました。その子の方が格上の感じで、感想戦でも自分の意見をはっきり言う。幹事の先生が教えてくれました。

『彼は藤井聡太君。愛知県ですごい注目されている子だよ』

 藤井さんは半年後に奨励会に合格して、研修会を卒業しました。僕はまだ彼と対戦できるレベルではなくて、話をする機会もなかったです」

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