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天才は負けると後ろに転がっていく

 藤井に会ったのは約2年ぶりだった。この研究会の場で二人は初めて盤を挟む。以下は高田少年の心の声である。

(藤井君、あんまり話してくれないなぁ。こんな知らない弱いやつの相手するのは面倒だって思っているんだろうな。一応俺も、小学生名人戦で準優勝しているんだけど)

 高田は迷わず“右玉戦法”に構えた。これは当時の高田にとって唯一の得意技だった。居飛車の場合、玉将は飛車と反対側に囲うが、右玉は飛車側に寄せていく。受けを基本とした力戦型の将棋である。

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「当時、右玉はまだマイナーな戦法でした。棒銀戦法しか知らなかった頃に、将棋会館道場の手合い係のお兄さんに教えてもらったんです。初めはちょっと変わっているなぁと思ったんですけど、定跡型を暗記するのがあまり好きじゃなかったので、自分だけが知っている戦いができるのは魅力的だった」

 藤井の指し手は早い。高田も早指しで応える。小学生同士の対局は、パシパシと進んでいく。

(早く終わらせてしまおうってのがみえみえだな。完全にナメられているなぁー。でも藤井君、もしかして右玉には不慣れなんじゃないかな?)

 

 藤井は他のメンバーと指すときには時間を使っていたが、高田が相手になるとノータイムだった。だが早指しのリズムは、不慣れな戦法では相手の術中にはまりやすい。高田の勝ちパターンがズバリと決まる。藤井にとってはまさかの展開だ。

「負けました」

 天才は頭を下げると、起こす勢いでそのまま後ろにでんぐり返しで転がっていった。高田は呆気にとられた。

(あれ~謎なことするなぁ……。ひっくり返るほどショックなのか。えっ、感想戦もやらないの?)

 藤井竜王の名誉のために言うが、あくまで小学生のときの話である。

最初の頃は6割くらい勝っていた

 研究会は月に1回行われて、各メンバーと1局ずつ指す。高田は右玉で藤井に3連勝した。3度目に敗れたとき、藤井は「もう指さない。帰る」と言ったらしい。明らかに納得いかない様子で、昼食も食べたくなさそうだった。一方、高田は藤井への勝利で自分の戦法に自信を持ち、それから約3年間、ひたすら右玉を指し続けた。

「藤井君は同い年の子と指すことがほとんどなかったと思うんです。僕に負けたときだけ明らかに悔しそうでした。他の対局では、扇子で膝を打つくらいでしたので。4戦目で負けましたが、最初の頃は6割くらい僕が勝っていました。そのあとは彼が右玉に慣れてきて、最終的に僕が勝ったのは3割くらいです。序盤は僕の方が良くなることが多かったのですが、中盤かなと思っていたら、いきなり終盤にされて一瞬で逆転されたり。そのスピードが強烈に印象に残っています」