また兄弟子であり、当時奨励会幹事をしていた山崎隆之八段は、高田が塾生や記録係をしながら、空いた時間によく棋士室に来ていたのを覚えている。
「彼は高校に行っていましたが、早い段階から将棋一本で生きていく雰囲気を感じさせました。右玉ばかり指していたので、このままでは研究されて厳しくなるのではないかと、師匠や糸谷さんと話していたんです。でも三段になった頃には他の戦法も勉強して、独特で読みにくい将棋になったと言われていました」
高田は奨励会初段頃までは指した将棋のほとんどが右玉であり、連盟の職員からも「他の戦法は指さないの?」と聞かれるほどだった。
入ってくるだけで場の空気が変わるように
棋士室には対局を終えた藤井も姿を見せる。デビュー1年目は、局後にいつもメディアの囲み取材があり、棋士室に滞在する時間はあまりなかった。その頃に畠山鎮八段が言った言葉を高田は覚えている。
「藤井さんが注目されて羨ましいかもしれないけど、スターであることの大変さもあるんだよ。君たちも彼のメディアへの受け答えを学んでおくといい」
やがて藤井がタイトル戦に出る頃には、入ってくるだけで場の空気が変わるようになった。それは「羽生先生がいらしたときみたいな感じです」と高田は言う。会話がやみ、検討していた棋士が「何か良い手はありますか?」と藤井に質問する。彼を中心とした雰囲気が自然と作られていく。
高田は自ら10秒将棋を願い出た。かつて同じ研究会にいたよしみもあったが、相手がトップ棋士であっても物怖じしない性格である。
「藤井先生がデビューした頃は指す機会がなかったので、研究会以来、数年ぶりでした。自分は記録係でしたので体力が残っていましたが、藤井先生の方は対局の後で疲れているはずなのに、ほとんど勝てなかったですね。持ち時間の短い将棋での切れ味が凄かった」
高田は藤井の将棋が小学生時代と大きく変わっていると感じた。
「今は公式戦では長考派になって、細かいヒットを積み重ねていく感じですが、昔はそういう感じではなかったです。ちょっと苦しくても一発逆転みたいな手を狙っていた印象でした」