藤井が三段リーグ入りを決めた翌月……
高田は4級で1年ほど壁に当たる。その間に藤井は初段から三段へと一気に駆け上がった。
「中学生になってから差が開いてしまって。藤井君は『もう奨励会で当たらないから仲良くするか』と思ったのか、よく話しかけてくれるようになりました。僕は3級に上がるのに1年もかかって、昇級の一番に勝ったときに藤井君に言おうと思ったら先に『おめでとう』って。『あれ? どうして知っているの』と聞いたら『上がれてないと思ったから言ってみた(笑)』。結構いじってくれるようになったんですよ」
ちなみに、この頃の高田は少し自虐的に自分を見ているので、決して藤井が高飛車だったわけではない。
藤井が三段リーグ入りを決めた翌月、最後の研究会が開かれて、高田は藤井との対局に勝った。
「さすがに1期で三段リーグを抜けるとは思っていませんでした。途中で関東の三浦先生(弘行九段)とかにも教わっているという情報も入ってきて(リーグ開幕前に、藤井を招いて関東のトップ棋士、若手棋士たちが合宿を開催した)。そうした場に参加できるのは、三段の中でも有望な人だけです。自分はまだ初段だったので、トップ棋士と指せる機会はほとんどありませんでした。羨ましいというか、さすが注目されているだけのことはあるなぁと」
藤井のプロ入りから8ヶ月後、高田は中3の6月に初段に上がった。入会から約3年での初段昇段は、同期の中で2番目の早さだった。
糸谷に「先生の右玉を見せてください」
大阪に向かう車窓からの眺めが高田は好きだ。最寄り駅を出発して岐阜駅、大垣駅、米原駅で三度乗り換えて行く。片道3時間の半分は将棋の勉強をしているが、残りは風景を見ている。
途中で田んぼ道が見えると、対局前のピリピリとした気持ちが和らぐ。関ヶ原の辺りでは綺麗な山を見るのが楽しみだ。大阪・高槻に近づくとチョコレート工場のオブジェが現れて、ああ、大阪に来たなと感じる。
地方在住なので中学までは記録係は任されなかったが、高校に入ってからは積極的にやるようにした。奨励会の例会日と合わせて対局の準備をする塾生の仕事も始めたので、学校を休むことが多くなる。
「高校は楽しかったですが、休日や放課後に友達と遊びに行くことはなかったです。ゲームとか高校生が普通にしていることを自分はしていなかったので、会話についていけないこともありました。それはちょっと寂しいなとは思っていました」
大阪に来て棋士と話せることも楽しみだった。一門の先輩であり憧れであった糸谷哲郎八段にも教わった。糸谷は師匠の森とは違い、高田に素直な子という印象を持っていたという。棋風はある意味で森一門の特徴である“展開が予想できない力戦派”と見ていた。高田は練習将棋で糸谷に「先生の右玉を見せてください」と頼み、糸谷は「わかった」と答えつつ、まったく違う将棋になったという。