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連載日の丸女子バレー 東洋の魔女から眞鍋ジャパンまで

2022/01/15

source : 文藝春秋

genre : スポーツ

シャンプーの後は髪にカーラーを巻いて

 彼女たちの1日はこのように過ぎていった。

 7時起床。部屋の掃除や朝食を済ませ、会社に出勤するのが午前8時。午後3時までデスクワーク。就業時間を終えるとすぐに体育館で練習が始まり、午後7時前に練習しながらおにぎりを頰張る。午前零時に練習を終え夕食。その後、入浴しながら練習着などを洗濯し就寝するのが午前2時。睡眠時間は多くて5時間……。

 一見、過酷に見えるものの、それでも彼女たちは時間をやりくりしながら“心の遊び”を十分に堪能していた。

 楽しみは入浴時間。洗濯をしながら“コイバナ”に花を咲かせ、コールドクリームで顔をマッサージすることも忘れない。後輩たちに美顔術を伝授するのは河西だ。松村が言う。

「当時、資生堂のコールドクリームがはやっていたんです。河西さんがスリスリするのを横目で見ながら、私たちもスリスリ。河西さんはパックもしていたし、先生に怒られても平気で、マニュキュアを欠かしたこともなかった」

引退後、一堂に会した“東洋の魔女”

 パックで顔を白塗りした河西に、遠征先で驚かされたのが磯辺だ。

「部屋においでといわれたので入ると真っ暗。そしたら暗闇から長い髪を垂らし、顔を真っ白に塗り、チェリーをくわえて口を真っ赤にした河西さんがヌッと現れた。驚いたのなんのって。河西さんはコートでは怖いけど、いたずら好きで茶目っ気たっぷりなんです。多分、私が1番年下だから何かと気遣っていてくれたんだと思います」

 アタッカーだった磯辺は、レシーブが苦手。レシーブでミスすると高校の先輩の谷田が大松に大目玉を食らう。磯辺は不甲斐なさと申し訳なさで、眠ると必ずと言っていいほど「やってますねん、上げてますねん」と、寝言をもらした。

 磯辺の寝言を耳にした松村が笑いながら言う。

「イソは毎日プレッシャーだったんでしょうね。私やタニさんに『しっかり返せ』と怒られてばかりいたけど口答(くちごた)えは出来ないから、寝言で反発していたんだと思います」
 そんな磯辺の心境を察し、河西が磯辺にいたずらを仕掛けたのだ。

 シャンプーの後は必ず全員で髪にカーラーを巻いた。河西が思い出し笑いする。

「髪をセットしても、練習が始まれば汗で5分と持たないのに、みんなそれでも眠い目をこすってカーラーを巻いた。世間では私たちを『男勝り』だとか『根性の人』とか言っていましたけど、いやそうじゃない、女を捨てていない、とアピールしたかったのかも知れません」

 若い女性たちの最大の関心事は、いつの時代もボーイフレンドである。誰かが「素敵な人を見つけた」といえば、みんなでチェックしに行く。恋が成就するように応援する場合もあれば、「あの人は止めておいた方がいい」と反対するケースもある。

 宮本はある日の夕方、寮の裏門でボーイフレンドの自転車の後ろに乗ろうとしているところを河西に見つかった。河西はすかさず声をかけた。

「ミヤさん、どこに行くの!」

 宮本は河西の剣幕に気後れし自転車を降りた。

 宮本は、あのときが私の人生のターニングポイントだったと照れた。

「補欠生活が3年も続いていた頃だったので、もうバレーを辞めようと思っていた。でも、河西さんに『バレーとデートとどっちが大事?』と問われ、思わず自転車を降りちゃった。私のような補欠のことも気にかけてくれていることがすごく嬉しかった。やっぱりこの人たちと一緒にバレーが上手くなりたいって。あのとき河西さんに声をかけてもらっていなかったら、私は東洋の魔女のメンバーにはなっていなかった」

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