開会式直前の関係者“辞任ドミノ”に始まり、メダル候補のまさかの敗戦やダークホースによる下馬評を覆しての戴冠劇、コロナ禍で開催され、明暗含めて多くの話題を呼んだ東京オリンピック。ついにその長い戦いも閉幕しました。そこで、オリンピック期間中(7月23日~8月8日)の掲載記事の中から、文春オンラインで反響の大きかった記事を再公開します。(初公開日 2021年8月1日)。
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7月31日、因縁の日韓女子バレー戦は、フルセットの末、韓国が勝利した。
先にマッチポイントをとったのは日本だったが、韓国が追い上げた。大接戦の末の勝利に、韓国では歓喜の声があふれている。
女子バレーボールのオリンピック対決は、2012年のロンドン五輪、16年のリオ五輪に続いて3回目。ロンドン五輪では3位決定戦で顔を合わせ、日本が3-0で銅メダルを手にしたが、リオでは、韓国が3-1で勝ち、共に5位に終わっていた。
1勝2敗で臨んだ日本と、2勝1敗だが強豪セルビア戦を控えている韓国にとって、この一戦は共に負けられない試合だった。
「やはり、バレーはキム・ヨンギョン」(キム・ヨンギョンのInstagramより)
攻守ともに八面六臂の活躍を見せたキム・ヨンギョン。ひとりで30点という得点をたたき出し、フルセットの土壇場でも選手を激励し、見事な守りも見せてチームを勝利に導いた。
日本のプロチームに2年在籍
1988年生まれの33歳。サッカー、野球に続いて、韓国では、“絶対エース”キム・ヨンギョン選手最後の五輪といわれる女子バレーにことのほか注目が集まっていた。
「100年に一度の逸材」、「女子バレー界のメッシ」と数々の異名をとり、英国BBCが「世界最高というのはこういう選手だ」と表したグローバルスター。先に始めていた姉の練習を手伝ったことがきっかけとなりバレーボールの道に入り、中学生時代は背が低いほうで――といっても170cmはあったというが――、控えの選手として攻撃よりも守備の練習をすることが多かったそうで、これがその後のバレー人生に大きく役に立ったと語っていた(『Korea.net』)。
韓日電算女子高校時代に背が20cmほど伸び、実力もめきめきと上がり、アジア、世界ユース選手権に続けて出場。高校卒業後はドラフトでプレミアリーグ、現在の「興国生命ピンクスパダーズ」(以下、興国ピンクスパイダーズ)入りした。
日本との縁も深い。2009年、日本のプロチーム「JTマーヴェラス」に移籍した。韓国人の女子バレーボール選手としては初めての海外移籍。当時の韓国は世代交代など女子バレーボール界不振の時代に入っていて、世界ランキングでも10位圏内から外れていた(日本の当時の世界ランキングは7位)。