金を動かすことなく指し進めたのにはたまげた
「相掛かりでは部分的に出る手。やってみようと思いました」と1日目を終えた後に藤井は語った。以前から考えていた手だが、普通の手だったからこそ、すぐに指したのだろう。
とはいえ、私自身は8六歩そのものにはそれほど驚かなかった。以前、「将棋世界」の付録で取材したとき、若手棋士が「8七金型が優秀」と口を揃えて答えていたので、その形にするつもりなのかと思っていたからだ。石田によると、佐々木勇気七段もさして驚いてはいなかったそうだ。
ところが、金を動かすことなく指し進めたのにはたまげた。
渡辺名人もブログで「新時代の手という感じで1日目の昼から大長考を余儀なくされました。91分考えて先手の構想は▲8七金だと思っていたら、全然違いましたし」と素直に驚きを語っている。
まさに知りがたきこと陰のごとく。
この後は大熱戦になった。藤井が自陣角を打ったのを見て、金を斜めに前進させて中央を制し、守ることなく攻め合う。
そして、双方1分将棋で20手以上指し進め、大詰めの130手目、渡辺が角を成った。次に銀を取れば藤井玉は詰む。この将棋での初めての「詰めろ」だ。普通ならば玉を逃げるところだが、ここで藤井は桂を跳ねた、あらゆる困難を乗り越えてきた「藤井の桂」だ。玉が逃げれば、そこで藤井も玉を逃げ、寄せ合いで1手勝ち。渡辺はこの桂を取ったが、藤井は鮮やかに詰まし上げた。投了以下は、渡辺玉は5五で桂打ちまでの都詰め(5五のマス目で詰むこと)。なんて美しい詰みだろうか。
動如雷霆(動くこと雷霆のごとし)――棋聖戦第1局
「動くこと雷霆のごとし」とは、「兵を動かすときには、雷のように激しく」という意味だ。
雷と同じく攻めるのはエネルギーを使う。また相手に駒を渡すため、リスクも高い。しかし、藤井はリスクを恐れない。
藤井の「雷」といえば、タイトル戦デビューとなった2020年6月の渡辺との棋聖戦第1局が思い浮かぶ。終盤藤井は猛攻し、渡辺陣に雷を落とし続けた。しかし、渡辺も反撃し、銀で桂を取る。誰しもがすぐに銀を取り返すと思った局面で、藤井はさらなる雷を落とした。
▲1三角成の王手だ。ここで王手するなど考えられない。控室ではどよめきがおきた。しかし、これこそが応手を見てから銀を取る駒を変えるという、詰将棋の「打診の王手」を応用した絶妙手だった。最後は自玉の不詰みを読み切って勝利。四冠ロードへの第一歩となった。
王位戦第4局の猛攻、叡王戦第5局の金の進軍と飛車切り、竜王戦第4局の自陣を顧みずに玉のコビンへの強打。佐藤康光九段の丸太攻めに匹敵する攻めだ。
このまま終わるとは、とても思えない
AIの評価値だけを見ていても、藤井が勝つ理由はわからない。
自由自在にギアを入れ、ときには風となり、林、火、山、陰、そして雷となり、変幻自在攻めも受けもオールラウンダーの指し回し。陰のごとく思考が読めず、だからこそトップ棋士がミスするのだ。
ただ、渡辺にしてみれば内容では負けていないという自負はあるだろう。この将棋も▲8六歩で時間を削られたものの、中盤はペースを握り、勝機はあった。
これまで2度行われた棋聖戦五番勝負ではトータルで渡辺側の1勝6敗だが、中盤で悪くしたのは最初の対戦の2局だけだ。「冬将軍」とも呼ばれる渡辺がこのまま終わるとは、とても思えない。