2020年から猛威を振るい始めた新型コロナウイルスは、人々の生活を大きく変えてしまった。日常生活を奪い取られ、窮地に追い詰められた人々は、現実に絶望し、悲嘆に暮れていた。しかし彼らは、自らの力で困難な状況を打開しようと立ち上がったのだ。
ここでは、作家の石井光太氏がコロナ禍で窮状に陥った人々を多面的にルポした『ルポ 自助2020 ――頼りにならないこの国で』(筑摩書房)から一部を抜粋。新型コロナの脅威から保育園児を守るために行政と戦った、西寺尾保育園(横浜市神奈川区)の現場を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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4月5日の日曜日、西寺尾保育園でリーダーを務める保育士のもとに1通のLINEのメッセージが届いた。同園で働く20代の保育士である吉村美里(仮名)からだった。そこには次のように書かれていた。
〈体調が悪く、新型コロナに感染しているかもしれないのですが、検査を受けることができません〉
吉村が体調を崩したのは、1週間前の3月30日だった。有給休暇中に37度台の熱が出たのだが、すぐに熱が下がり、体調もそんなに悪くなかったことから、軽い風邪だろうと受け止めた。それで翌31日から通常通り出勤していたのだが、3日の午後になって再び体調が悪化し、4日の土曜日には味覚や嗅覚に異常が表れた。
吉村は言う。
「3日のお昼の給食がカレーだったんですが、あんまり香りがしないような気がしていて、帰宅途中に焼き鳥屋の前を通った時も同じような感覚がありました。何か変だなと思っていましたが、まだ世間にコロナの症状に関する情報があまり出回っていなかったし、私もちょうど引っ越しがかさなってニュースをほとんど見ていなかった。だから、自分の身に起きているのがコロナの症状だと思わなかったんです。
翌日は土曜日でした。家で夫と過ごしていたところ、紅茶のパックの香りがまったくしなかった。それを話したら、夫があれっていう様子で、『この前、コロナになったタレントが話していた症状と同じだぞ』と教えてくれたんです。それで慌てて翌日に検査できるところを探しはじめました」
吉村は、まず保健所に連絡をして病状をつたえ、PCR検査を受けたいと頼んだ。だが、保健所からは「現在は検査機関が麻痺している状態です。熱がなく、嗅覚の異常しかないのなら、新型コロナとは断言できないので、しばらく様子を見てください」と断られた。
保健所の対応を受け、吉村は気が気でなかった。もし陽性であれば、自分が子供たちや同僚に新型コロナを広めてしまうかもしれない。そうなる前に、一刻でも早く検査を受けなければ。
彼女は諦めず、その後も横浜市の医療機関だけでなく、少し前まで住んでいた別の市の保健所や医療機関にも電話をかけ、検査をしてもらえないかと頼んだ。問い合わせ先は数十件に及んだが、ことごとく断られた。
吉村が絶望的な思いで受け持ちのクラスのリーダーにLINEで連絡をしたのは、この後のことだった。すべてを打ち明けて、明日からの勤務をどうするべきか決断を仰いだのである。リーダーの保育士は自分1人では決められず、上司に連絡し、相談することにした。