意見を変えようとしない市の職員
1時間以上にわたって協議をしても平行線をたどったため、菱川は、もう話し合っても意味がない、とあきらめた。区の職員には、市の決定を変える権限がないのだろう。ならば、市に直談判するしかない。
「この電話で話をしていても、進展がありません。私の方で1度、市の方と話がしたいので、つないでもらっていいですか」
区の職員は、「わかりました」と答え、一旦電話を切った。
午後9時10分頃、横浜市こども青少年局こども家庭課の職員から菱川のもとに連絡があった。菱川は、決定権のある人間なら話が通るだろうと思って同じことを主張した。だが、市の職員の反応は同じだった。市の職員の意見は、主に次の4点だった。
・感染者が出たという情報開示をするには、市の調査と判断が必要。
・市内の保育園は原則として開園しなくてはならない。
・感染者は自宅待機中なので、今日まで開園しているのと、明日開園するのは同じこと。
・保健所の検査は明日の何時になるかは不明。
菱川は、ここでも懸命に食い下がった。頭にあったのは、乳児の感染者の中に死亡事例も出ているという報道だった。それなのに、保育を継続するというのは、子供たちを命の危険にさらすことになるのではないか。
この意見に対して、市の職員はこう答えた。
「小児については現時点では、重症化しやすいとの報告はありません」
「でも、亡くなっているお子さんがいるという報告もありますよね」
「とにかく、保健所の調査を踏まえて総合的に判断するということでお願いします」
「それまで待てません。開園するなら、きちんと情報開示して保護者に登園するかどうかの判断を任せるという方法をとらせてください」
「まだ何もはっきりしない状況で情報開示すれば、保育園が無用なバッシングを受けることになります」
「感染者が出たことは判明しているじゃないですか。万が一子供の命が失われれば、誰にも責任はとれないんですよ」
2時間にわたって、こうしたやり取りがつづけられた。だが、市の職員は、区の職員同様に意見を変えようとはしなかった。そうしている間にも、夜は刻一刻と更けていく。早くしなければ、メールを送っても、保護者に読んでもらえない恐れが出てくる。
菱川はもはや独断で動くしかないと考え、こう言った。
「市の考えが変わらないのは理解しましたが、私の考えも変わりません! このまま話をしていてもずっと平行線だと思います。なので、明日の朝、最初の1人が来る前に、私の方で保護者に情報開示いたします」