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「公表しないという話だったじゃないですか!」行政の“コロナ隠ぺい工作疑惑”に立ち向かった保育園の戦いと子供たちの命を救った園長の決断

『ルポ 自助2020- ――頼りにならないこの国で』より #1

2022/03/06
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 午後10時になって、区の職員から作成した文案が送られてきた。菱川はそれを保護者に転送した。区が考えたというメールの内容は形式的なものだった。

 この度、西寺尾保育園にて新型コロナウイルス感染症の陽性反応が出たことを受け、横浜市と検討を重ね、令和2年4月10日(金)~令和2年4月18日(土)まで保育園を臨時休園する事となりましたので、ご連絡させていただきます。

 再開の判断については4月19日をめどにお知らせ致します。

 保育園としては、横浜市保健所と連携しながら適切に対応して参ります。

 保護者の皆様には大変ご迷惑をおかけ致しますが、ご理解とご協力のほどよろしくお願い致します。

園長会から市へ抗議

 こうして正式に、市が感染を公表することになったが、西寺尾保育園としては、まだやるべきことが残っていた。濃厚接触者を洗い出し、休園にした1週間強の間に、PCR検査によって感染が広まっていないかどうかを確認しなければならないのだ。

 9日に保健所の職員が調査に来た時、濃厚接触者に該当するのは職員35人に加えて、吉村のクラスの園児13人だとされていた。だが、次の日に改めて保健所から送られてきたリストには、接触経路から割り出されたクラスや、前年度の年長クラスだった卒園生まで含む123人が濃厚接触者となっていた。

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 菱川は職員に指示して、濃厚接触者に該当する人たち全員に連絡をして状況を話し、必要ならば検査を受けるようつたえた。だが、この頃の保健所では検査体制が不十分で、重症と見なされる症状が出ていなければ、検査を受けつけてもらなかった。

 菱川は語る。

「濃厚接触者の中には体調の悪い人もいたのに、保健所では検査をしてもらえませんでした。大きな病院も軒並みダメでした。そこで陽性がわかった吉村先生が検査を受けたクリニックを紹介してもらって、そこで検査をしてもらうことにしたんです。クリニックの先生も協力してくださって、希望する人たちが検査を受けることができるようになりました」

 幸い、検査を受けた人たちはみな陰性の結果が出た。

 時を前後して、菱川は今回の出来事の経緯を弁護士に報告し、資料としてまとめることにした。目的は主に2つ。1つは、今後何かあった時にきちんと経過を示せるようにしておくため。2つ目が、今回起きた問題を横浜市私立保育園園長会に報告し、再発防止につなげるためだ。

 資料を受け取った横浜市私立保育園園長会からの反響は思いのほか大きかった。以前にも、市内の別の保育園で新型コロナウイルスの感染者が出た際、今回と同様に市から公表を禁じる指示が出されたことがあったという。園長会はこれを重く受け止め、今後も同じことが行われれば、保育園そのものが信頼を失うだけでなく、子供の命を守れない恐れがあるとして、市に抗議を行うことにした。

 4月13日、園長会は「要望書」という形で、今回の対応に疑問を呈した(同じ日に弁護士からも市に「通知書」を送った)。要望書の内容は厳しく、次がその一部だ。

 園児、職員等における感染状況の公表は、保育所にとって、当該保育所の園児、職員等の生命を守るために必須であり、公表を行わないという選択肢などない。それにも関わらず、公表をしないよう迫る貴市の対応は、生命にかかわる重要情報の隠蔽、または情報操作ともいえるものであり、緊急事態宣言が発出されている現在において、到底許されるものではない。

 よって、貴市は、私立保育所における新型コロナウイルス感染に関する情報の操作や隠蔽をやめ、当該保育所が保護者に正確な情報を公表することを妨げることのないよう、直ちに対応を改善されたい。

 園長会は、市の対応に過ちがあることを指摘し、改善を求めたのである。

 メディアが西寺尾保育園で起きたことを嗅ぎつけたのは、これがきっかけだった。世間からすれば、人の命を守る行政が公表を禁じ、開園を指示したというのは信じがたい行為だ。テレビや新聞ですぐに一連の出来事がニュースとして流れた。その1つが、本章の冒頭で引用した新聞記事だ。

 メディアの報道を受けて、世論からも横浜市を批判する声が湧き起った。ネットには市に対する辛辣な言葉が並び、市の窓口にも電話やメールで批判が寄せられた。人命を軽視した隠ぺい工作と取られても仕方のないことだった。

 市は釈明に追われ、2度にわたって記者会見を行った(いずれも西寺尾保育園には無断で行われた)。会見では記者から厳しい意見が寄せられる中、市の担当者が頭を下げて謝罪した。

「保護者の心配な気持ちへの配慮が不十分だった。今後は、保健所の調査を待たずに休園を決定する方向で検討したい」

 そう考えるなら、なぜ初めからやらなかったのか。多くの人の胸にそんな思いが過ったはずだ。しかし、西寺尾保育園が事態を公表しなければ、この先も同じことがくり返されていた危険があった。いいように解釈すれば、園の適切な判断のおかげで、多くの人が救われたのである。

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