島倉は、聖書は死亡した前・米国聖書会社社長との口約束でもらったと言い、貞の親族とは示談になっており、殺す必要はないと主張した。「自分の無実を証明する書類を正力署長に預けた」と主張。署長の証人申請を繰り返したが、いずれも却下された。
判決は1917年7月9日。ところが、各紙の扱いは驚くほどそっけなく、多くが判決の内容を報じただけ。中で時事新報は――。
惡宣教師は死刑 宣告を聞いて 顔色が無くなる
芝区白金台町232番地、自称宣教師、島倉儀平(36)は横浜市山下町、米国聖書会社から聖書数百冊の販売を委託されて保管中、火災保険に付して放火し、日本火災保険会社などより保険金1200余円(現在の約423万円余)を詐取した。さらに雇い人、林てい(16)を凌辱、傷害。その犯跡を隠蔽するため、ていを絞殺して古井に投じたほか、詐欺、横領などの嫌疑で一昨年以来、東京地方裁判所、三宅裁判長の係りで審理中だった。9日午前11時、有罪の証拠十分と認められ、死刑の言い渡しを受けた。さすがの凶漢もたちまち顔色土のごとく悄然として、2名の看守に追い立てられて退廷した。
控訴審初公判を報じた1922年7月8日付(7日発行)東朝夕刊の記事は、判決の際のことを「『罪のない者の首をムザムザブッ切るつもりか』と宣告の日、大暴れに暴れ」たとしている。
16歳にしては「大きすぎる」「陰毛が伸びすぎている」遺体の年齢をめぐる論争も
それにしても、何をもって「証拠十分」としたのか。容疑の中心は殺人(現在なら死体遺棄が加わるだろう)。
まず、発掘された遺体が本当に林貞だったのかどうか。「史談裁判」は「井戸からあげて埋葬したときは22歳ぐらいと推定しているし、白骨発掘のときから16歳の少女にしては身長が大きすぎはしまいかという疑問があった」と述べている。さらに、16歳にしては陰毛が伸びすぎているという意見があり、公判でも「陰毛論争」が交わされた。
弁護側は、遺体は林貞と一致しないと主張したが、検察側は実験した結果として林貞に間違いないと反論。判決もその判断を採用した。
「文藝春秋」1927年7月号では、柳田國男と大審院(現在の最高裁に当たる)判事で文化人の尾佐竹猛に、菊池寛と友人で作家の芥川龍之介が加わった座談会が行われた。その中で島倉事件も話題になり、「犯罪事実は疑いはないのですか」という菊池の問いに尾佐竹はこう答えている。
非常な疑問なんですね。骸骨が証拠品として法廷に出てくるのですよ。しかも、死んでから2年くらいたったものですからね。ですから、それが果たして被害者の骸骨であるかどうかという……ね。
「史談裁判」は「島倉事件の控訴審当時、尾佐竹は(東京)控訴院判事として、担当同僚から聞いた話だろうから、この言葉は重要である」としている。