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連載大正事件史

2022/03/20

「島倉は正力署長の温情に打たれて素直に犯行を自供」?

 これに対して、正力の「怪事件回顧録」によれば、島倉は正力署長の温情に打たれて素直に犯行を自供。本人の希望で呼んだ逢坂牧師と署長の前で涙を流して妻にわび、“改心”した様子を見せた。

 ところが「欣然として検事局に行ったはずの島倉が、予審に移されてからガラリと態度が変わってしまって、警察で自白したのはみんなでたらめで、刑事の拷問と正力署長の詐術にかかったのだと言いだした」。その理由について、

1、正力が島倉の自宅を人手に渡らないようにしてやると言ったのに、保険会社に差し押さえられてしまったので、報復手段として

2、面会日に必ず来ていた妻が急に姿を見せなくなり、男と同棲しているといううわさがあった

 ことを挙げた。さらに「伝記正力松太郎」は書く。

「ところが、一審の審理も終わりに近づいた大正7年の4月、島倉の心性を一変さすことが起こった。当時から無産者の味方をもって任じ、社会主義運動の弁護を一手に引き受けていた弁護士布施辰治が、島倉の弁護を買って出て無罪論をやりだしたのである。本人が罪状を認めているのに、飛び入りの弁護人が無罪を主張するのである。そればかりでなく、布施が弁護を始めて以来、島倉も態度を一変し、そのうえ、一文の金もないはずの彼が、正力や神楽坂署員に脅迫状を送ったり、検事や裁判官に向かってまで長文の上申書を出すようになった」

 しかし、新聞記事でも分かる通り、布施は一審の当初から弁護人になっている。著名人の伝記にこんな初歩的な誤りがあっていいものか。

反骨の弁護士・布施辰治(「ある弁護士の生涯 布施辰治」より)

 この本にはほかにも誤りがある。検事畑を歩み、戦前、戦後、司法大臣・法務大臣を務めた小原直も「小原直回顧録」(1966年)で「被告がそれまでの自白を覆し、罪状を否定し始めたのは、布施弁護人の指導によるものとみられた」と書いている。

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