フィリピンで高級ラウンジをはじめ、多数の事業を手掛ける小澤マリアさん。事業開始の際は日本で貯めたお金をすべて事業に注ぎ込み、貯金0の状態から再スタートを切ったが、2、3年で事業は軌道にのったという。

 遠い異国の地で、成功した要因の一つは、“小澤マリア”という名前がすでにフィリピンに知れ渡っていたことだと語る小澤さん。しかし、文字通り裸一貫からその地位を築くまでには様々な苦労があったという。彼女はなぜセクシー女優という道を選び、どのような思いで仕事をしてきたのだろうか――。

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――そもそも、セクシー女優になろうと思ったのは、何かきっかけがあったんでしょうか?

小澤マリア(以下、小澤) デビューのきっかけは、キャバクラで働いていた時に、AVの仕事と掛け持ちでやってるお姉さん方がたくさんいて、いろいろと話を聞いていたんです。当時はデビューしたら、撮影でグアムやらハワイやらが当たり前みたいな感じで、当時18歳だった私は“夢ありすぎだろ”って思ったんですよね。

 あと、モデルとかやって人気がなくなって徐々に脱がされるくらいなら、最初にバッと脱いで、一回有名になってから仕事していったほうが絶対に楽だなと思ったんですよ。

――18歳でその考えにいたった理由は何ですか?

小澤 私は極度のさみしがり屋なので、1人になりたくないっていうのがすごいあったんです。常に誰かしらと何かをやっていたい、注目されたいって。それをどうやって継続していくかって考えたら、AVに出て人気になるのが手っ取り早いなって。

 それに当時は飯島愛さんとかが“神”みたいな存在で、彼女が出ているテレビとか私もすごく観ていましたし、蒼井そらちゃんとかも中国で成功していたので、自分ももしかしたらできるかもみたいな思いがあったんですよね。