東京の湾岸・鈴ヶ森で目とノドをえぐられた若い女性の惨殺死体が発見された“鈴ヶ森のお春殺し”。容疑者が犯行を自供したものの、彼は公判で「自供は拷問されたからだ」と暴露。そんな中で、もうひとりの容疑者が浮上し、事件は動きを見せる。「1つの殺人に共犯でもない2人の犯人」という前代未聞の事件は、1915年当時の日本社会を背景にしていた――。
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「大凶賊」が「自首」した理由は?
1915年12月15日付東朝は「果して大兇賊=恐るべき自白」という記事を載せた。
本所区南二葉町34、洗い張り業・関口助六(49)及び同居人・石井藤吉(43)の両人はさる11月23日、府下北品川町、車宿・岩田平造方をはじめ各所に押し入り、短刀をもって脅迫し、金品を強奪していたことが判明。数日前、警視庁の手に取り押さえられた。厳重尋問の結果、14日正午に至り、その1人である藤吉は恐るべき罪状を自白した。
同人は名古屋市正木町465に本籍があり、昨年暮れ、千葉監獄を出獄した強窃盗前科6犯の悪漢。さる6月17日夜、横浜市久保町1505、大槻禎郎(31)方へ押し入って同人を縛り、内縁の妻の小学校教員・小林はな(22)も短刀で脅迫したうえ、ついに両名を絞殺。銀時計1個を強奪して逃走した。
記事はほかにも、愛知県内で石井が張り込んでいた警官を短刀で殺害。不審尋問した警官にもけがを負わせたうえ、神奈川、静岡、愛知、大阪、兵庫で強盗事件を起こしたらしいとした。
そして年が明けた1916年1月8日付報知朝刊は社会面トップの特ダネで「お春殺しの眞犯人現は(わ)る 小森惣輔は冤罪 当局の大狼狽」と伝えた。
記事は「数日前、詐欺犯の嫌疑で警視庁に勾留され、のちに嫌疑が晴れて放免された某の口から漏れた」として次のように書いた。
「昨年度の刑事上の4大事件の1つである鈴ヶ森砂風呂女殺し事件の犯人が、目下犯人として捕らわれつつある小森惣輔(36)ではなく、新たにこのごろ現れ出た一凶賊そのものだという大奇怪事である」
以下、公判では小守が犯人とされているが、提供者からの情報で記者が調べた結果、次のようなことが分かったと書いた。
いまわが社の探聞するところによれば、かの怪事件の真犯人というのは、実に惣輔ではなく、旧臘(昨年12月)警視庁に捕らわれ、横浜の歌人・大槻禎郎(31)夫妻その他の殺人、強盗、女性暴行(計)40余件を犯した凶悪の犯人、愛知県名古屋市中区正木町465、前科6犯の石井藤吉。彼こそまさしくこの鈴ヶ森のお春をも殺した犯人である。
藤吉の自白によって事理明白、寸毫(すんごう=少しも)疑うべき余地がなく、警視庁及び裁判所においても目下大問題となっている。