初公判は同年5月19日。「死を待つ藤吉」が見出しの20日付東朝には「石井は茶色セル(ウール)の長羽織を着て、獰悪な面貌にも覚悟の笑みを浮かべ、悠々とした態度で現れた」とある。殺害後について石井は次のように陳述した。
「死体の処置に困り、はじめは鬼子母神堂裏の池や井戸に沈めようと深さを測ったが、意外に浅かった。そこでわざとナイフで女の頸部その他を突き、あたかも恋の遺恨による凶行のように仮装したうえで逃走した」
お春だということは後で知ったと言い、新事実として、お春を殺害後、現金と小型の春画を奪ったと供述。「自分は既に過去における極悪の大罪を悔悟し、いまは報いになるだろう死を待つ身だから、あえて複雑な審理や弁護を煩わすのは恥ずかしい」(東朝)と述べた。
同じ日付の読売は「死刑を望む」の見出しを立て、弁護人が自供内容などについて精査したいと裁判の続行を望むと、「石井は怫然(むっとする)色をなし、『自分は殺人、強盗、強姦、あらゆる罪悪の限りを尽くした大悪人。死刑以外の刑を受けるのは気持ちがよくない』と気炎を吐いた」 と記している。
「自白は道楽にあらず」
次の6月9日の公判でも、春画について石井の供述に否定的な事実が示され、弁護人が新たな証人尋問を求めると、「憤然として『自分が殺人の自白をするのは道楽のためではない。自分が真の犯人であるにもかかわらず、小守という人が嫌疑を受けているのを気の毒だと思って自白したのだ。それを弁護士殿に疑われるのは心外だ』と叫んだ」。こう書いた10日付読売の見出しは「自白は道楽にあらず」。
石井は2人の弁護人のうちの武富済弁護士を「一度も接見に来なかった」などとして信用せず、次の8月4日の公判で弁護を「迷惑千万」と非難すると、武富弁護士は「官選だから仕方がない」と口走る始末。公判廷で被告と弁護人が口論するという「珍妙な現象を呈した」(同年8月4日発行5日付報知夕刊)。
しかし、立石謙輔裁判長は石井の供述を信用しなかったようだ。石井を同行させた実地検証などを経て同年12月4日に下された判決は――。
お春を殺したと主張する 石井藤吉は無罪になつ(っ)た 他の犯罪で無期懲役=事件愈々(いよいよ)迷宮に入る
鈴ヶ森砂風呂「濱の屋」の長女お春を惨殺した真犯人は自分だと名乗って出た例の石井藤吉(42)及び、藤吉と共謀して各所で強姦殺人をはたらいた相方、関口助六(49)の両悪漢に係る事件は、先ごろから東京地方裁判所刑事第二部立石裁判長、小原検事の係りでしばしば公判が開かれた。その都度、被告藤吉及び検事は有罪を主張して極力その証拠を挙げようと努め、弁護人と裁判長は反対に疑獄とみて、公判ごとに矛盾をきたして容易に決せず、事件は一層世間の疑惑を招くに至った。いよいよ審理を終わって4日午前10時半から、立石裁判長が「被告藤吉の自白は事件の真相に符合しないところが多い。本件に関しては無罪とし、他の犯罪で無期徒刑とする。助六は懲役18年に処す」と判決を下した。言い渡された藤吉は不満げに裁判長をにらみつけ、何事か言おうとしたが、警官に追い立てられて法廷を出た。