「その鈴ヶ森のお春殺しは自分であるのに、どうして小守という人が無実の罪にて裁判所まで送られたかと思い…」
石井藤吉が獄中で書いた文章を編集者がまとめた「聖徒となれる悪徒 石井藤吉の懺悔と感想」(1919年)という本がある。それによれば、お春殺しについては、自分から犯行を認めたという。関口とともに1915年12月8日に逮捕された後のことをこう述べている(原文のまま、現代仮名遣い)。
警察署の勾留監へ入りますと、その内に7、8人の犯罪人がおりました。その人々がいろいろの話を致しておりまするうちに、東京市中の殺人犯の話が出まして、どこそこの人殺しは捕縛になり、また、あそこの人殺しも捕縛になったと、いろいろの殺人犯の話の中に、鈴ヶ森のお春殺しの小守はいま公判になったという話を致しておるのを私はそのそばで聞いておりました。そこで私は、その鈴ヶ森のお春殺しは自分であるのに、どうして小守という人が無実の罪にて裁判所まで送られたかと思いまして、一時は疑いました。そこでなお、その話を聞きますると、皆の人が口を合わしたように、君はあの鈴ヶ森のお春殺しの小守を知りませんかと言われまして、初めて小守という人が私の犯した罪にて無実の罪に落ちておるのかと思いました。
ここからもお春殺しが広く世間の話題になっていたことが分かる。石井の回想は続く。
そこで私が心の中に思いますには、自分は今日まで自ら犯罪を致しおいても、捕縛せられたる巡査や刑事を恨みに思い、また裁判所の検事、判事を処分が高いとか言うて恨みを持っていた。また私一人にあらず、一般の犯罪者は皆同じであるのに、まして何も知らないことにて数か月間、無実の罪にて監獄へ入れられて裁判を受けた小守の心の中の煩悶、苦痛はどうであろう。また、その人の家にある妻子、親兄弟、親戚の人々の心はいかばかりであろうかと、その苦痛、心配の人々の心の中をいかにして私が口や姿にて表すことはできまいと思いました。そこでなお思いましたのには、人間はどうせ一度は死なねばならぬから、自分はこのところにて速やかに自首して、無実の小守という人を助けてあげなければ相済まぬと思いまして、自首を致すことになりました。
数々の犯罪を重ねた「大凶賊」にしては殊勝すぎる気がしないでもない。彼はのちに「島倉事件」にも登場したカナダ人宣教師マクドナルドに導かれて“改心し”キリスト教に深く帰依するが、ここに書かれた心境はそれより前のことだ。
これで小守は「シロ」と決まったと思われたが…
小守壮輔は1月25日、「責付となって出獄した。同人に対する殺人事件は無罪となったが、他に余罪があることからいまだ青天白日の身とは言い難いという」と1月26日付読売にはある。「責付」とは、当時の刑事訴訟法で裁判所が勾留の執行を停止し、被告の身柄を親族に預ける制度。