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 17日付読売は「鈴木弁護士は『被告は真実悔悟してこの自白をしており、全ての点から見ても被告を犯人と認める点が多い』と犯罪の事実を挙げて有罪論を展開。『しかしながら、かくまで潔く悔悟しているのを死刑に処すのは遺憾』と付言すると、藤吉は非常に満足の体で、なお自分が真犯人だという点に関して陳述を補足した」と伝えた。

 同年3月30日の控訴審判決の記事は各紙小さかった。「石井藤吉に死刑宣告 泰然たる被告の態度」(30日発行31日付報知夕刊)、「死刑を感謝」(31日付東朝)、「本人の希望が叶ひ(い)」(同東日)、「死刑と聞いて嬉し涙」(同時事新報)……。なかみを見ると――。

控訴審判決「死刑と聞いて嬉し涙」(時事新報)

「この言い渡しを受けるや、藤吉は自若として(落ち着いて)『ああ、これで私の罪滅ぼしができ、安心して天国に行かれます』と裁判長及び弁護士・鈴木富士彌氏にあつく礼を述べた」(東朝)。

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「弁護人・鈴木富士彌氏から『判決に対しなお上訴する考えでもあるか』と聞かれ、藤吉は『滅相もない。上告などは致しません。満足でございます。冤罪者がこのことを聞きましたら、さぞ喜ぶことでしょう』と涙を流して判・検事、弁護人に向かい『長々お世話になりました』と丁寧な謝意を表して退廷したが、いずれもけなげな彼の態度に哀れを催して目送した」(時事新報)

兄姉は他界、酒癖の悪い父、病気の母、「飲む打つ買う」を覚えて行商からも離れ…

「聖徒となれる悪徒」には生い立ちから悪の道に至った彼の足どりが記されている。

 名古屋で生まれた。兄姉は早世し、一人っ子。父は商人だったが、毎日酒を1升5合(2.7リットル)も飲む大酒飲み。酒癖が悪く、一時は家からいなくなった。母は病気になり、石井は行商をして家計を助けた。

 しかし、家の近所には賭け事の風習があり、まだ子どもの石井も手を出し、家の金や物を持ち出すようになった。親に知られて奉公に出ることに。両親にわがままに育てられたためどこも辛抱できず、結局瀬戸物の行商をやったが「飲む打つ買う」を覚えてやめてしまった。

 名古屋の大きな材木店に臨時雇いで働いたとき、店の品物を持ち出して売り払い、店を追い出された後も同じような悪事を繰り返しているうち、19歳の時に警察に捕まった。監獄に入れられたが、聞いていたより寛大で苦もない所だと思った。

 それからは悪事と監獄の繰り返し。脱獄もした。父は亡くなり、結婚して母と3人暮らしもしたが、落ち着かず、出獄しても獄内で知り合った悪友と接触してまた悪事に走った。強盗で懲役11年の刑を受け、千葉の監獄に入っている間に母は死亡。妻は行方不明に。監獄で知り合ったのが関口だった。