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「僕はいやしくも農商務省高等官の職にある者である」と豪語するも…

 自宅から連行された憲は強気だった。

「取り調べの係員に対し『僕はいやしくも農商務省高等官の職にある者である。なにゆえあってこのような凶行を演ずべき理由があるか』と豪語し、また『自分は本庁の正力監察官とは学友の間柄である。自分の人格については正力氏がよく知っているはずだから聞かれたい』と、取り調べること自体が不法であるとなじっていたほどであったが、渡邊の陳述の矛盾と、渡邊が西長岡から山田の名で発信した事実などを追及されて返答に窮し、さらに山田庄平も既に逮捕されていることを知るに及んでついに観念し、同夜深更に至って犯行の一切を自供したのであった」(「警視庁史 大正編」)

 計画を練り、共犯者をこしらえ、遺体をバラバラにして東京以外の土地に遺棄し、アリバイ工作もしたうえ、「敵の懐に飛び込んで」容疑をかわし、完全犯罪を狙ったつもりだったのか。

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「インテリが考える甘い完全犯罪の標本」

 だが、犯行のところどころに見える、あきれるほどの稚拙さとずさんさ。正力監察官を訪ねたことを、6月18日付東京朝日(東朝)は「山田白(しら)ばくれて 警視廰(庁)に出頭」と片づけた。

東京朝日は2ページを使って報じた

 元警視庁警視の中村義正は「第六感の妙機 犯罪実話と探偵術」(1938年)で「憲がかようにご念の入った証拠隠滅を企てたことがかえって人を疑わせ、捜査を簡捷(簡単で素早く)にしたばかりでなく、どこまで智謀を巡らしても、どこまでも付いて回って離れぬ不安のために、ついに自己催眠でフラフラとお手元の警視庁へ飛び込んできたのである。それも、自分では必ず逃れ得る自信の下に飛び込んできたのであるから、冷静な第三者の目で見ると滑稽な話であるが……」と分析。

 当時東京地裁の指導係検事だった小泉輝三朗の「大正犯罪史正談」は「インテリの考える完全犯罪の概念というものは、これほど甘いという標本」と言い切った。

鈴木辨蔵という男

 その辨蔵の人となりを記した記事も東日号外にある。

強情な鈴木辨蔵 愛銭の癖強くして 同業者にも嫌は(わ)る

 辨蔵を知る深川佐賀町の同業者某氏は語る。「辨蔵さんは神奈川県の人、鈴木嘉左衛門さんの三男で、先代文左衛門の養子となり、明治9年の家督相続以来米穀商を営み、漸々と(少しずつ)資産をこしらえた。この数年間は外米をも取り扱っていた。ことに昨年来、米価暴騰に際し大いに機転を利かして莫大な利益を得、いまでは数百万の資産をつくった。非常な子福者で男5人女5人の子どもがあり、東京の事務所に来た時はたいてい私の店にも立ち寄った。あれだけの資産をつくったほどあってなかなか強情な性質で、一度言いだしたら容易に後には引かない男だった。苦心して金を残したせいか、非常に出し汚い男で、われわれ同業者の中にもあまり気受けのいい方ではなかった。

「出し汚い」とはケチということか。