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「もちろん、あの事件に山憲が関係なしとは言わぬ。だが…」

 多くの話題を呼んだ事件はその後もさまざまなところで話題に上った。

 弁護団のメンバーでのちに阿部定やゾルゲ事件の弁護をした竹内金太郎は、雑誌「話」1935年10月号で、憲が辨蔵を殺害する際、ナイフでわずかに頸部を刺したと供述しているのに、現場には血痕がなかったなど、事件には多くの不思議があると指摘。「もちろん、あの事件に山憲が関係なしとは言わぬ。だが、本当にあの家で鈴辨を殺害し、料理したのであろうか」「誰かこの事件には、隠れた人物がいるのではなかろうか」と疑問を投げ掛けている。

 また、死刑廃止論者の布施辰治弁護士は「死刑囚十一話」で憲に同情を寄せ、「真に徹底した死刑廃止の弁護をした者のなかったらしいことを遺憾に思う」と述べている。

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演歌に大道芸… “人気”を獲得していく事件

 大正初めから関東大震災までの間は「成金時代」と呼ばれる。第一次世界大戦の特需で造船業、海運業を筆頭に莫大な利益を挙げる会社や個人が続出。玄関が暗いといって札束を燃やして靴を探させたり、朝鮮半島にトラ狩りに行ってトラ肉試食会を開いたりした「成金」のエピソードが話題に。

「成金の輩出によって触発された、ブルジョアに対する憧憬と憎悪は、またそうした風景にふさわしい犯罪事件をも生み出した」。今井清一編著「日本の百年5 成金天下」は鈴辨殺しをこう位置づけている。

 血なまぐさいのに、全体が軽佻浮薄、拝金主義的でどこか牧歌的。事件の“人気”はさまざまな形で広がった。

 珍しいのは、明治時代後半から昭和初期にかけて流行した大道芸「のぞきからくり」に取り入れられたこと。坂井美香「メディアとしてののぞきからくり興行―口上歌『鈴弁殺し』の成立―=「新潟史学」(2005年)所収=には、水木直箭という作家が事件のあった年の8月に口上歌として制作した経緯や上演の概要がまとめられている。

のぞきからくりの舞台(「新潟史学」より)

 事件が生々しい猟奇的なトピックスとして関心を集めたことが分かるし、庶民の間には、被害者・鈴辨に対する同情より加害者・憲を英雄視する心情が強かったことが読み取れる。口上歌では、筋立てはほぼ現実の事件通りだが、被害者、加害者は仮名になっている。

 それでも、京都では上演禁止になるなど、当局は神経をとがらせたという。当時の演歌師によって「書生節」(書生姿で歌う演歌)にもなり、人気演歌師・添田唖蝉坊が作詞した「呪の五万円」は大ヒット。同じ唖蝉坊作詞の「つばめ節」でもこう歌われた。

 金をためるな イソイソ ためるな金を

 金さへなかったら鈴辨も

 あの山憲にむざむざと

 うち殺されてきざまれて

 トランク詰めには遇(あ)やすまい

 信濃川まで イソ 行きや(ゃ)すまい

(添田知道「演歌の明治大正史」)

【参考文献】
▽植原路郎「明治・大正・昭和大事件怪事件記誌」 実業之日本社 1932年
▽「警視庁史 大正編」 1960年
▽「新潟県警察史」 1959年
▽御手洗辰雄「伝記 正力松太郎」 大日本雄辨会講談社 1955年
▽井上ひさし「犯罪調書」 集英社文庫 1984年
▽中村義正「第六感の妙機 犯罪実話と探偵術」 興文閣書房 1938年
▽小泉輝三朗「大正犯罪史正談」 大学書房 1955年
▽「農林水産省百年史 中巻(大正・昭和戦前編)」 1980年
▽笠信太郎「米穀関税調査」 大阪自由通商協会 1930年
▽大富秀賢「新撰譬喩因縁集」 永田文昌堂 1932年
▽布施辰治「死刑囚十一話」 山東社 1930年
▽今井清一編著「日本の百年5 成金天下」 ちくま学芸文庫 2008年
▽添田知道「演歌の明治大正史」 岩波新書 1963年
▽中西伊之助「死刑囚の人生観」 越山堂 1924年