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「山田の妻は新聞を隠されて憲の死刑執行を知らない」

「繼子」(「つぎ子」「ツギ子」「津艤子」と表記した新聞も)は憲の妻だったが、事件当時妊娠しており、彼女をめぐるスキャンダル報道の過熱は現在のテレビのワイドショーを上回るほど。

山田憲の「妻」だった「つぎ子」(國民新聞)

「山田の妻つぎ子は今後如何(いか)に身を處(処)すべきか」「薄命の夫人に恰好(かっこう)な(の)は 浄(きよ)き尼僧生活」「宿した子の教育に 一身を捧げしめよ」「つぎ子の落度 山田家の生活費過超」「淺猿(あさま)しかりき新妻つぎ子」……。いまなら名誉棄損で訴えられそうなバッシング。

 特に熱心なのは読売だった。「津艤子は來(来)月お産」「津艤子の生児は遂に 山田家へ入籍した」「津艤子は新聞を隠されて 憲の死刑執行を知らない」……。

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 女性誌でも「山田憲を父とする子供の誕生を聞いて」(「婦人之友」1920年3月号)、「神戸の孤児院に育つ 山田憲の遺児『道ちゃん』を訪ふ」(「主婦之友」1925年3月号)などと報じられた。

山田憲の子どものことを報じた「主婦之友」

 ほかにも憲と家族を取り上げた情報も。「兇(凶)悪山田技師の母は妓樓(楼)の娘 漂泊の弟は活辨生活」「山田憲に絡(まつわ)る疑問の女」……。各紙は競って人権そっちのけの報道を続けた。6月20日付報知朝刊は、憲の家が「昼間はいまなお物好きな見物人が門前に群がるので、ほとほと閉口の体」と伝えている。

 時事新報は「呪はれたる鞄(トランク)」という遺棄現場のルポを連載。「殺人鬼山田憲の實(実)家を訪ふ(とう)」という記事を載せた。山田憲は写真嫌いだったらしく、各紙が載せた写真は結婚写真か東京帝大農科大学時代らしい学生服姿。

山田憲「夫妻」の結婚写真(東京朝日)

コメ業者にも捜索の手が…

 そして、当然の影響というべきか、農商務省とコメ業者の関係が浮上した。同じ6月18日付東朝は「鈴辨事件の飛火 外米問題に關(関)し神戸湯淺(浅)商店の家宅捜索」と報道した。

事件のころもコメの価格は上がり続けた(國民新聞)

 神戸地裁の予審判事と検事が神戸市内の湯浅商店と役員の自宅を家宅捜索。証拠書類多数を押収した。「鈴辨事件に関連せるらしく」と書いている。同じ日付の読売も「農商務省を中心にして 一大疑獄起らん 官吏と米商の不正行為 其筋にて密々に捜査中」という記事を掲載。その後、湯浅商店の東京支店長らが収監される事態になった。