昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

 凜の旧姓は松田。兵庫県猪名川町の小学校を卒業後、西宮市の名門・関西学院中等部へ入学する。高等部ではアメフト部に所属し、ここで彼は輝かしい成果を残す。ポジションは司令塔であるクォーターバック。3年時には、高校の関西選抜メンバーにも選出されているのだ。友人が語る。

入社すぐコンテストで入賞

「凜は生まれつき頭部の血管が細く、アメフトを続けられなかった。関西学院大ではアメフト部に籍を置きつつも、コーチとして高等部に派遣されていた。凜が大学3、4年の時、高等部のアメフト部は2年連続で高校日本一になっています」

 卒業後、凜は外資系の有名コンサルティング会社に就職を果たす。ITの部門に従事した。そして2年半後の18年11月、プルデンシャルにヘッドハンティングされたのである。

決意表明する動画

 小誌は、入社時の凜の動画を入手した。都内で行われた研修の後、同期たちの前で1分間ほど、“決意表明”のスピーチをした時のものだ。グレーのスリーピーススーツに身を包み、マイクを握る彼の声は、自信に満ち溢れていた。

「出来ない目標は言いたくない」と、大言壮語をするわけでもなく、「成長できる会社だから」前職を辞めたと語る凜。そして最後にこう締めくくった。

「僕は必ず、自分に負けない。自分に克つ。そういう働きをします!」

 同社は完全歩合制の実力主義だ。社員が明かす。

「彼が配属された都内の支社は、社内でも特にノルマがキツイ、体育会系ノリの職場として有名でした」

 アメフトで日本一を経験している凜は転身後、すぐに成果を出し始める。

「成績を競うコンテストが近づくと、月の保険料が10万円を超える高額契約を次々と取ってきた。コンテストでは『BP(ブロンズプライズ)』で入賞。上位五段階の一番下ですが、入社数カ月でこれは凄い」(同前)

 自宅は家賃数十万円の赤坂の高級タワーマンションに引っ越した。後に結婚する交際相手がいながらも都内のガールズバーに通い詰めて彼女を作り、イタリア製の高級車ランボルギーニを乗り回す日々。だが――。

z