「いましかない。これだったら私にもできるかもしれないんだ」
――特待生というのは?
後藤 授業料が免除されます。代アニには寮もあるので、寮費さえ賄えればどうにかなりそうだな、そのときの貯金でギリギリいけそうだな、と。そう思ったら、もう大学の退学届けを書いていました。
――本当に行動が速いですね。でも、ご両親は反対したのでは?
後藤 両親は絶対に反対すると思ったので、親の署名は自分で書きました……(笑)。
――……それ、上京する段階でバレますよね?
後藤 はい……。上京の直前に「お話があります。今から東京の代々木にある学校に行きます。で、大学はもう退学しました」と打ち明けたら、両親は大泣きして反対し、M先生にまで泣きついたんです。
でも、「いましかない。これだったら私にもできるかもしれないんだ」と訴えたら、M先生は納得してくれて、東京の大学病院で医師をしている知人に私を紹介してくれました。さらに、おこづかいまで持たせてくれました。両親は「話が違う」と(笑)。
結局、「最後まで反対したら邑子が家に帰りにくくなる」と家族も折れました。勢い、身ひとつで飛び出すように東京に出てきたんです。
突然の妹の死。そして…
――代アニを卒業してからは、どういうルートで声優になったのですか?
後藤 声優事務所の附属養成所に入りました。ただ、しばらくして、3歳下の妹が急に亡くなったんです。19歳でした。
妹は持病はなく、地方の大学の寮に入っていたんですけど、夜寝ているあいだに心不全を起こしたそうです。健康な人でも起こす可能性があると医師に説明されました。
喪失感で、何も考えられませんでした。一日ただ怒って、泣くだけ。結局、養成所にも行かなくなりました。実家に戻ったりもしましたが、悲しすぎるときって、痛みを分かち合うことさえ難しいんですよ。妹についての記憶がちょっと食い違うだけで、私と母はすぐ泣いてケンカになってしまう状態で……。
何もすることはないけど東京に戻りました。何もしないまま、友人たちに助けられて生きてました。今でもその友人たちは、「当時の私らは、まるで天使だった」と言います。相当、迷惑をかけたんでしょうね。
三回忌の頃には、深い悲しみは、静かな悲しみへと変わっていました。そうして気持ちが落ち着いてくると、周囲が妹に対して「可哀相」という言葉に腹が立ってきたんです。