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 通してもらってすぐ、小森さんには「すみません、嘘つきました。少しでもお話がしたくて」と白状しました。そうしたら、すごく長い時間、いろいろなお話をしてくれて……。

 さらには「もし本当にお芝居に関わりたくて東京に出てくるんなら、私のところを訪ねてらっしゃい」と言ってくれて、麻布の住所を書いて渡してくれたんです。このメモはお守りがわりに今も大切に持っています。

住所が記されたそのときのメモ(後藤さん提供)

「役者が無理でも、声が独特だから、声優って道もあるんじゃない?」

――熱意が伝わったんでしょうね。

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後藤 私は、本気でお芝居に関わる道を探すことにしました。それまでは現実的に、体を長持ちさせることを考えて、「楽な部署の公務員になって、週末に劇団に参加する」ことが最適解だと考えていました。そのために地元の名門と言われる大学に進みました。

 その一方で、「そうしてるあいだに人生終わったらどうする?」「どうせ終わるなら全力でやりたいことやれば良かった、って後悔しないか?」とも思っていて、日々、揺れていました。でもこの日、最適解じゃないほうに決めたんです。

 裏方ならいけそうだ、いつかは脚本家、監督も視野に入れて……。そうやって、本気でお芝居に関わる道に行こうと決めたんです。

 とはいえ、具体的な方法はわからなかったので、まずTV局にアルバイトで入りました。そしたら、そこで出会ったディレクターさんに「役者が無理でも、声が独特だから声優って道もあるんじゃない?」と言われたんです。それまで声優というお仕事が頭になかったので、「その手があったか!」と。

TV局アルバイト時代の後藤さん(後藤さん提供)

――青天の霹靂だったんですね。それまで、声について何か言われたことがなかったんですか?

後藤 教室でも部室でも「邑子が来るとすぐ分かる」とは言われてましたが、「騒がしいからかなぁ」くらいに思っていました。演劇部ではずっと男役でしたし。自分の声が女の子役に向いてるなんて思いもしませんでした。

 初めて「声優」という職業を意識したとき、声優だったら動かなくていいし、身体的なハンデは少ない。そこなら裏方として関わるんじゃなく、お芝居そのものをできるんじゃないか、と思いました。私がお芝居をやるとしたら、そのフィールドしかないんじゃないか、って。

 雑誌で声優になる方法を調べると、代々木アニメーション学院(以下、代アニ)のオープンキャンパスがあるのを見つけました。そこに参加したら、特待生にしてあげると言われたんです。