東日にはけんかに参加した人数が書かれていないが、同じ日付の國民は「1000名近い」、東朝は「渡り合ふ一千の土工」と書き、報知は「双方千数百名」とした。
司法省調査課が1935年に出した「司法報告書集 第19 5集」所収の重富義男・東京区検検事による「集団的暴力犯罪の原因:主として神奈川県下に於ける事犯に関する若干の考察」はこの事件を論じており、「争闘参加人員」を「赤組(三谷秀組)」約600人とし、対する「白組」は約800人で、内訳を「青山組約400人」「松尾組約200人」「大阪組約200人」としている。
大阪組とは、宇和島清蔵率いる大阪の博徒団体「淡熊会」からの応援部隊のこと。両陣営を合計すれば約1400人。「日本最大の喧嘩」といわれたのも不思議ではなかった。
「警察当局の大失態」という批判も…
各紙は現場周辺を警戒する警官たちや襲われた三谷秀組事務所の写真を掲載。読売には「凄い銃彈を―浴びつゝ(つ) 半里に亘る戰線を 一ト(ひと)めぐり」という“戦場ルポ”も。
この段階で東日は「警官召集の機を失し 夜に入つて此(この)不祥事」の小見出しで警察の対応に疑問の声を上げている。
神奈川県警察部と横浜憲兵隊は横浜市以外からも警官を集めたうえ、警視庁にも応援を求めたが、「闇夜のため手の下しようがなく、ただ潮田付近を遠巻きに包囲し、交通を遮断して形勢を観望しているが、払暁を待って一網打尽に検挙するものらしい」と指摘。「警察官が多数いたならば鎮撫し得たのだが、警官召集の機が遅れたために、夜に入って、ついに手の付けられぬ状態に陥ったものである」と批判した。
報知も「警官遠巻にして たゞ(ただ)争闘に任す」と同様の疑問を呈し、萬朝報は「警察當局の大失態」と断じた。これに対し、警察を統括する松村(義一)・内務省警保局長は東朝紙面で「必ずしも神奈川県警察部の責任とはいえないと思う」と語り、読売では「(作業員が)日常寝起きしている工事現場や事務所近くだから解散させることは容易ではない」と話している。
続々押収される武器
続く22日発行23日付夕刊では、両陣営の組員の検挙と凶器の押収などの捜査が始まったことを各紙が伝えている。東朝を見ると1面トップで「せい(凄)惨な空氣の中に 曉(暁)かけて大檢擧(検挙)」の見出し。
22日午前2時からの捜索・検挙で午前10時までに青山・松尾組270人、三谷秀組約80人の計約350人を連行。両陣営から小銃50丁、ピストル20丁、日本刀300本、竹やり500本を押収したと報じた。ただ、時事新報に載った内務省警保局発表の押収物件数はそれよりずっと少ない。自社まとめということか。
「司法報告書集 第19 5集」所収の一審判決では、三谷秀組側がモーゼル式10連発拳銃を撃ったことが認定されている。潮田の地元研究者がまとめたサトウマコト「鶴見騒擾事件百科」(1999年)によれば、握り部分に柄を付けると長さが約80センチになり、連射ができるため、機関銃だと思った人もいたという。