しかし、「南阿蘇鉄道をどうしていくか。南阿蘇村の被害があまりに酷くて、住民に投げ掛けられる状態ではありませんでした」と中川さんは話す。
そうした中で動き出したのは、もう一つの沿線自治体の高森町だった。ちょうど第三セクターの社長は高森町長だった。
中川さんが意を強くしたのは、発災からまだ1カ月が経過していなかった5月11日に開かれた臨時株主総会だ。出資した自治体などが集まり、「可能な限り全線復旧を進める」という方向でまとまった。
「地方の鉄道は金食い虫のように見られていますが、どれだけ地元が必要と考えているかがポイントです。この場で『地元の腹』が決まりました」(中川さん)
鉄道を維持するために、目をつけたのは…
南阿蘇鉄道は地震の前まで特殊な経営形態で生き延びてきた。
旧国鉄から切り離された後、「地域の足」を守るために、観光客をターゲットにして収益を上げてきたのだ。
沿線の人口は南阿蘇村が約1万人、高森町が約6000人しかいない。通学や通勤、さらに高齢者が時々利用する通院による収益など微々たるものだ。
熊本地震が起きる前年度の輸送収入は約1億1000万円。通勤・通学定期の収入は1割程度だった。だが、この利用こそが重要だった。人口減少や少子高齢化で地元利用は減り続けていたが、通学や通勤、通院に使える公共交通機関がなくなれば、地域を維持できなくなってしまうからである。
鉄道を維持するためにどうやって稼ぐか。目をつけたのは観光だった。
「全線再開」までどうやって食いつなぐか
高森駅を出発した列車は、雄大な阿蘇山を眺めながら田んぼの中を走る。第一白川橋梁では目もくらむような峡谷を渡る。これが30分ほどの乗車で楽しめる。
南阿蘇鉄道は観光客誘致のための武器も持っていた。第三セクターに転換した時に導入したトロッコ列車だ。なんと運賃収入の4割を稼ぎ出していたのはこの列車だった。
普通列車の観光利用も多かった。韓国や台湾といった外国からの乗客が、バスツアーで訪れて乗るのである。
南阿蘇地域に入り込む観光客数は被災前、年間800万人に届こうかという勢いだったが、南阿蘇鉄道に乗るのを目的に来る人も一定数いたほどだ。
運賃収入が1億円を超えていたのは、こうした利用があったからだった。
ただ、そうは言っても1億円でしかない。経費を削減して収入に見合うだけの支出に抑えた。
第三セクター鉄道は国鉄から分離された時、車両整備や赤字補填のために「転換交付金」が交付された。他の三セク鉄道では早々に使い果たしたところが多いが、南阿蘇鉄道は被災時にもまだ残していた。観光収入と節約のたまものだった。