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 一方の「メリケン粉」はロール式の製粉機で細かく挽かれた、輸入物の真っ白な小麦粉だ。前掲の『明治工業史』では《ウドン粉の及ぶところに非ず》と評価している。

 本邦輸入粉の大部分は、米國より渡來せるものにして、通俗之をメリケン粉と稱し其の品質、色澤共に優良にして、到底我が國在來の水車粉、即ちウドン粉の及ぶところに非ず[※2]

 メリケン粉の中でも、硬質小麦を使った強力粉はパンに使われ、軟質小麦を使った薄力粉はケーキなどの高級なお菓子に使われた。例えば、明治36年『実用農産製造学』ではパンの原料について、次のように書かれている。

 原料には、饂飩粉は不適當にして、米利堅(メリケン)粉を用ふるを宜しとす。これ品質優良の麺包を得ればなり[※3]。

 また、明治40年『日本ニ於ケル小麦需要供給一斑』にも、《日本産(ウドン粉)はうどん・素麺・糊用》、《外国産(メリケン粉)はパン・ビスケット・高級な洋菓子》と用途の違いが述べられている。

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日本産 : 製粉粘力強シ故ニ饂飩素麺糊用ニハ内地産ヲ優レリトス
外國產 : 製粉ハ内地産二比シ粘力弱シ故ニ麺麺、ビスケット其他上等菓子用ニハ内國種二優レリ[※4]

 パンや洋菓子、軍用ビスケット(乾パンのルーツ)の原料として、なくてはならない機械製粉の「メリケン粉」。開国以降の洋食の普及とともに「メリケン粉」の輸入は伸び、明治27年の日清戦争、37年の日露戦争でさらに小麦粉の需要は拡大した。

 国家レベルの小麦粉需要に着目する日本人の実業家も、もちろんいた。外国から製粉機を導入すれば、国内でも「メリケン粉」に負けない良質な小麦粉の製粉は可能である。それは、かなり早い段階でわかっていた。しかしそれを妨げたのが、幕末に諸外国と締結した安政5カ国条約だ。

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小麦の関税はゼロにさせられて…

 不平等条約として知られる安政5カ国条約は、日本の関税自主権が欠如していた。慶応2年(1866年)、列強の圧力で幕府が締結した『改税約書』によって、海外から日本へ輸入される小麦粉や、その原料の小麦の関税はゼロにさせられた。その結果、海外の良質な小麦粉が比較的安い値段で市場に出回ることになった。

 この状況が、明治の半ばまで日本の製粉業の発展を阻害した。 仮に日本国内で高価な製粉機を導入して製粉しても、関税ゼロで輸入されたメリケン粉を相手にしては、価格で競争することができず、投資分を回収できない。関税自主権を回復しない限り、日本国内での製粉業は利益を期待できないのだ。