今日の内容は、連立方程式。本来は中学二年で習うことらしい。「数学Ⅰ」とは名ばかりで、実際はほとんどの時間が中学校の数学の復習に費やされる。それでも、分数や小数の計算さえ怪しい一部の生徒たちにとっては相当ハードルが高い。
「前回の問題とほとんど同じはずなんですが」藤竹がプリントの束を教卓に置く。「苦戦しているようですね」
「難しいヨ」ママが言った。「式一つでも大変なのに、二つもある。わからないヨ」
藤竹はママにうなずきかけ、正面に向き直る。
「自動的にはわからない」
「どういう意味?」ママが訊いた。
「授業をただ聞いていればわかるとか、教科書をただ読んでいればわかるとかいうものではないってことです。数学や物理はとくに」
「じゃあ、どうすりゃいいんです?」長老が不満げに言う。
「手を動かすんです。何度も何度も書く。やみくもにでも式をいじくり回す。いろんな図をしつこく描いてみる。そうしているうちに、わかった、という瞬間が来ます。必ず」
バカかこいつ。岳人は鼻で笑った。十五、六の頃なら、この席からたばこの箱を投げつけているところだ。そんなふうに勉強ができるくらいなら、定時制なんかにいやしない。
まわりを見ても、若い生徒たちは皆しらけた顔をしている。それを気にする様子もなく、藤竹は真顔で続けた。
「私は天才ではありません。たぶん、あなたたちも。だから結局、方法はそれしかないんです。もし本当にわかりたいのなら」
四限目が終わるのを待って職員室を訪ねたが、そこに担任の姿はなかった。国語の教師が「物理準備室だと思うよ」と言うので、そちらへ行ってみる。
二階から渡り廊下を通って隣の校舎に入り、L字になった建物の角を曲がった先だ。
部屋の扉は開いていて、中に藤竹がいるのが見えた。窓際の机に向かって何か読んでいる。
「ちょっといいすか」
廊下から声をかけると、藤竹は振り向かずに「どうぞ」と応じた。ビーカーなどが収められた棚と実験台の間をとおり、奥へと進む。足を踏み入れたのは初めてだ。