1ページ目から読む
3/6ページ目

「ところが、夫は放蕩者のうえ前科数犯の男」

「ところが、夫木下は非常な放蕩者のうえ前科数犯の男。結婚後、間もなく監獄入りすることになるが、それは10日の本紙で詳細報道した」と東日は書く。その通り、2日前の11月10日付同紙には「不正看守の上前を跳ねる」の見出しの記事が見える。

(木下の)実家は相当な資産家で、13歳のとき上京。浅草橋の金物商店に雇われ、昨年春、年期を勤め上げて本所区(現墨田区)原庭町に金物店を開くに至った。が、心が緩んで浅草公園の白首(娼婦)を引き入れてぜいたくをしたため、すぐ家計に困り、詐欺行為をして懲役3カ月に。11月に満期出所後、現住所に転居。近くの魚商・堺某の養女・さだ(19)を嫁にもらい、アルミニウム製器具の行商をしていた。

 

 そのうち、いとこに当たる市ケ谷監獄の看守で購買係の男が米穀店や石炭店、石油店の店主から贈賄して数千円の蓄財をし、20軒以上も貸家を持っていることを聞き知ってから、その上前をはねて不当な利益を得ていることが万世橋分署の刑事が探知。3日、関係者を引致して取り調べ、9日、検事局へ送った。

 お艶や養父の名前が間違っているが、お艶はここで初めて夫が不正の男と知ったのだろう。所帯をたたんで養父の家に戻ったのは9日のこと。

夫の犯罪を伝える東京日日。「前科者木下忠正」とある

 そして、東日の12日の記事は事件当夜に至る。

ADVERTISEMENT

 10日夜は養父母が外出。お艶と養女(実際は惣七の妻おたねの連れ子)お清(23)の2人で留守番をしていた。午後7時半ごろ、年齢24~25歳で縞の羽織に兵児帯(柔らかい生地の帯)を締めた面長で色白の男が訪ねてきて「お艶はいるか」と鷹揚に言葉をかけ、「俺は警視庁の刑事だが、夫木下の件で取り調べる必要があるから同道しろ」と言った。お艶はいったん戸外に出たが、また家に入り、お清に「警視庁まで行ってくるから、ちり紙と手ぬぐいを出してくれ」と頼み、それを懐に入れて家を出た。錦町から2人で電車に乗り和田倉門で下車したところまでは確認されているが、それから先はどのようにして惨殺されたかは不明。

 記事は続いて身元判明のいきさつを「加害者は偽刑事」の小見出しで書いている。

 11日朝になってもお艶が帰宅しないため、惣七は身を案じて11日午前10時ごろ、警視庁に訪ねて行ったが「そんな者は来ない」と言われて途方に暮れた。家に帰る道すがら、神田署に立ち寄って捜索願を出したことから、さては三菱ケ原の被害者ではないかとして調べた結果、身元が判明した。犯人は被害者と何の関係もない者らしく、あるいは夫が監獄入りした新聞記事を見て、偽刑事になってお艶を呼び出し、みだらな振る舞いをして抵抗されたため無残に殺害したのではないかとの見方が最も根拠があるようだ。