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「お遊びはいかがですか?」軽自動車から突然現れた客引き
そもそもなぜ昭和の歓楽街にはこういう「青線」的飲み屋街が生まれるのか。まずよく言われるのが、かつての娯楽の少なさ。そこに、女性の社会進出前で、人的供給が多く賃金も安かったことが加わるだろう。なにより大きいのは、夜の歓楽街は、成人した男ばかりのための楽園だったこと。
第三新興街には、「青森ならではの理由」が、もうひとつ入りそうだ――。以前、ここで飲んだ雪の夜、こんなことがあった。
路地の1軒で飲み終わり、裏手の共同便所に立ち寄って、さて宿へ帰ろうと歩きだすと、ふと目が留まった。薄暗い路地のわきに、雪が積もったまま停まっている軽自動車。見れば排気ガスが出ているではないか。フロントガラスまで雪に埋もれているのに、中に人もいるようだ。と思うやいなや突然ドアが開き、笑顔のお兄さんが飛び出してきて、私に一言。
「お遊びはいかがですか?」
客引きだった。平成の終わり頃、人通りの減ったなかで暖を取りつつ客を引く工夫だったわけだが、もう全域が飲み屋街でしかない時代になったと思っていたのに、周辺では、まだこうして、あいまいな環境下で遊ばせるシステムが稼働していたのだった。お兄さんは私にささやいた。「最後まで、できますよ」。
じつは昔から、「青森にはソープランドがない」という。これが青森ならではの「あいまい」を育てた一因だと思える。