いや、こう書いてはみたものの、ほんとうはすべての時代は、それぞれ独立したもののように区分けすることはできない。長い年月のなかで、路地を出ていく人、入って来る人はあまたあったにせよ、中にいた誰もがこの路地で商売をし、家族を養う人々だった。それは令和の現在、この長屋で今日も寝起きするおかあさんにまでひとつに繋がっている。歴史とは、そういうもののはずだ。私は、一部分を切り出したり、拡大解釈してばかりいて、当たり前のことを忘れてしまっていた。
公的資料からは少し昔のことが分からないことも
この2本の路地の奥で働いて「金をため独立していった女たちも何人もいたんだよ」。おかあさんは教えてくれた。
私は日頃、地方の古い飲み屋街で話を聞くのが好きだが、はじめていく土地なら、事前に町史や市史、自治体のHPをざっとチェックしてみることがある。よく驚くのは、貝塚だとか戦国時代だとか江戸時代だとかは記述が厚く、売りにしていることもあるのに、昭和戦後期の記述は大きな出来事以外は極端にすくないか、ほとんどない、と言っていい場合さえあること。
自治体が前面に押し出す「おらが街」インフォメーションからは、その土地の少し昔のことが、分からないことがかなり多い。郷土史家の関心の外にあるのだろうか。
私たちの現在と地続きのはずのたった数十年前のことが、もう古老たちの記憶のなかにしかないんだな、こう思わずにおれないケースにしばしば直面する。彼ら彼女らがいなくなったら、正史に載ってこない人々の歴史は、なかったことになるかもしれない。古い飲み屋街でグラスを傾けていると、よりその思いは強くなる。
Z世代に感じるアンバランスさ
一方、いまZ世代に「レトロブーム」が来ているというニュースも目にする。純喫茶や古い個人商店、ひなびた飲み屋街のネオン看板など、つい数十年前の昭和の風景を新鮮に感じ、「刺さる」のだと。SNSを見てみれば、すぐさまおびただしいレトロスポット写真が見つかるが、映えポイントも、醸そうとするイメージも正直、どこか似通っている。
どんどん楽しめばいい、と思いながらもチラと、ある一面ばかりが繰り返し切りだされ、イメージを増幅され、拡散されていっていることに、なにかアンバランスさ、危うさを感じる――。
ここでひとつ、本稿ご覧の皆様にひとつお願いがあります。よろしければぜひ、青森・第三新興街へ。そして〈おかあさん〉へ。早い時間ならまだまだ開けています。「映え」を存分に撮ったあと一杯、いかがでしょうか。その夜あなたと歴史は、おそらくひとつに繋がり出すと、私は思っています。
写真=フリート横田