第三新興街が「映え」スポットとして人気に
そしてこの色と酒があいまいに溶け合う気配が、じつはSNS時代のいま、第三新興街を人気スポットに押し上げている。
色と酒のイメージ、戦後混乱期由来のキナ臭いイメージ、おかあさんが「昔の第三はぼったくりするところもあって評判よくなかったって」と自嘲する場末のイメージ、そして長屋群の外装そのものから感じられる退廃的イメージが渾然一体となって、人の関心を引き付けている。
日本中の街や道が、ストリートビュ―で簡単に見られるあけっぴろげで退屈な現代に、わずかに残る「昭和秘境」のひとつとなったのだ。いまや「映え」スポットとして有名である。おかあさんも笑っていた。
「県外の人が『第三』に来ればさ、珍しいってな、写真撮ってさ、私をカウンター座らせて撮ったりしてった人もいたよ。女の人もいたから、ジュース飲んでけって言って飲んでいったけど」
私もまた、多少界隈を知るだけで、受け取っている・味わっているイメージは、ジュースを飲んでいった子たちとなんら変わらない。
工藤正市さんが撮影していた昭和期の第三新興街で生活する人々
――それが、ある日、横面を張られた。
この写真をご覧いただきたい。
まぎれもなく、第三新興街である。
これらの写真は、東奥日報のカメラマンだった工藤正市さんが1950年代から60年代初頭にかけて青森各地を撮影したスナップのなかにあったもの。工藤さん没後、娘の工藤加奈子さんがフィルムを発見しSNSで発表したことで、近年、多くの人々の目にふれることとなった。私もネットで知り、しかも第三新興街が撮影されていることも分かり、写真集の発売予定を知るやすぐに注文した。
到着してページを繰っていくたびに、その場にいたこともないのに、なぜか懐かしく、心が震えた。雪をふんで道を急ぐ人、はたらく男、子供をおぶう女、リヤカーをひく老人、晴れわたった夏の日も凍える雪の日も、写真集のなかの青森の街には人があふれ、そしてファインダーをのぞく撮影者の、街の人々へのまなざしが、まっすぐに伝わってきた。
すでに失われた風景へのセンチメンタリズムにあてられているとは自覚しながらも、同時に目を見張ったのは、写真のなかの第三新興街には、お茶屋さん、電気屋さんなど、ふつうの商店が営業していたこと。そして、これほどたくさんの子どもたちの姿があったこと。戦後マーケット時代と、昭和後期の青線飲み屋街の間に、こうした一時代が、確かにあったのだった。