ピンクサロンが路地の入り口にあるのだが、ネオンが点いていない。4年前に訪れたときには確かにギラギラ灯っていたし、その夜、路地奥のスナックのママは、飲み屋だって「8軒やってるよー」と言っていた。今夜はそうも見えない。ここは、青森駅東口から南へ数分歩いた場所にある歓楽街「第三新興街」。一角の名を冠したアーチだけが赤々と灯っている。
灯るネオンが減り、退廃的風景が一層強まる
まず、ほとんど眠っている木造長屋の姿、ご覧いただきたい。
いま、青森駅前は再開発が進み、2024年春には駅ビルのリニューアルが予定されている。広々したロータリーを中心にしてこぎれいな街並みが広がりつつある一方、この一角は都市整備から取り残されたまま。すでに歓楽の中心地は駅東側にある新町のほうへ移っている。灯るネオンが減ったことで一層強まった退廃的風景。建築時、十分な基礎工事も行われなかったのか、「建物が沈んできているのよ」と、あるママは言っていた。高度成長期ごろにはここが相当な賑わいだったとは、なかなか信じられない。
しんしんと雪の降る夜に訪れたとき、溶けるほど甘いイカ刺しを出してくれた女将さんが言っていた。
「私、昔ここで、飯場のお母さんやったの。弁当作って持たせて。男らはここに寝泊まりさせてね。……でも私は、女商売はしなかった」
「女商売」による賑わいで大勢の男たちが路地を行き来
街には土木建築の仕事が豊富で、宿泊施設からあふれるほど汗を流し働く男たちもいて、歓楽地は簡易宿泊所の役目も果たした。生のタラを煮た「じゃっぱ汁」を出してくれた別の店のママは、
「昔は、胴巻きに札束入れた漁師がね、土産に鮭をぶら下げて。……それで、店の女の子と一緒にどこかへね。まあ、私が来たときには(そういう商売は)やってなかったけど」
昭和期、第三新興街の賑わいは、酒を飲ませることにとどまらず、「女商売」――色を売ることによっても、もたらされていた。雪をふんで大勢の男たちが路地を行き来したのだった。
4年を経て、ネオンは消え果てたようで……いや、別の1軒だけ、明かりがついている! というか、それをちょうど消そうとしている。もう? まだ19時を回ったところなのに。