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連載明治事件史

199人が死亡した史上最悪の遭難…「八甲田山雪中行軍」で一体なにが起きていたのか?「睡魔に襲われたように次々と昏倒」「追い詰められたあまりに…」

八甲田山雪中行軍遭難事件 #1

2024/01/24
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2日目 気温は氷点下20度以下に

〈【2日目(1月24日)】風雪は徐々に猛烈になって寒気も加わり、気温は氷点下20度以下に達した。命令で軍歌を合唱して士気を奮い起こし、足踏みで睡魔を追いやり凍傷を防いだ。最も多く仮眠した者でも1時間半以上にはならなかっただろう。この状態を見て山口少佐は将校、軍医の意見を参考に次のように判断した。

(1)行軍は予定通りでなかったが、目的はおおむね達成した
(2)睡眠、食事は不十分で寒気はさらに増し、このまま何もしなければ凍傷を起こす危険がある
(3)きょうの天気はきのうより風雪、寒気ともに厳しいが、動けないほどではない
(4)夜明け前の出発は日没後の行動に勝る――。

 少佐は5時出発の予定を早め、午前3時に出発して連隊に戻ることを神成大尉に命じた〉

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 ここでは神成大尉らが先頭に立って行軍したが、吹雪はますます猛烈になり「四面暗澹(しめんあんたん=暗くてはっきりしない)、行路甚だ難かりき」(『遭難始末』原文のまま)。『青森県史 資料編 近現代2』所収の「陸軍歩兵大尉倉石一遭難陳述書」(防衛省防衛研究所図書館所蔵)にはこの日、「咫尺(しせき)を弁ぜず」(近くのものすら識別できない)」という言葉が繰り返し登場する。

道を間違ってしまった

〈一行は鳴沢経由で馬立場に出るつもりだったが、約1時間後、鳴沢渓谷に入り、小さな川にぶつかって進めなくなった。道を間違ったことを知った〉

※写真はイメージです ©AFLO

「不安を感じたら、その一歩を踏み出さない。それが山の危険から身を守る最善の方法である」(岩崎元郎『今そこにある山の危険』)。行軍隊の行動は山のセオリーから外れていた。

 さらに、仕方なく引き返そうとした途中で予想外の事態が起きる。