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「佐藤(勝輝)特務曹長は方向を知ると称し、自ら進んで嚮導(案内)となり、さらに道を東北に転じ、急峻なる懸崖を下るや、不幸、駒込川の本流に遭遇し、ついに一歩も進むべからざるに至れり。その時既に(午前)8時半ごろなりしならん」(『遭難始末』原文のまま)

重大な判断ミス

『遭難始末』はこれしか書いていないが、長南政義「検証 八甲田山雪中行軍遭難事件」(「歴史群像」2022年2月号所収)は明確に指摘している。

「佐藤勝輝特務曹長が田代への道を知っていると述べたため、山口歩兵少佐は軽率にもこの意見を信用し、案内を命じてしまう」

「田代は青森屯営の逆方向である。しかも、出発時に危険が伴うと考え、諦めた地点だ。山口歩兵少佐は追い詰められたあまり、状況判断を誤ったのだ」

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 さらに、この時、山口少佐は中隊長の神成大尉に相談せず、独断で決めたといわれる。小説や映画でも「死の彷徨(ほうこう)」に陥る重大な判断ミスとして描かれた。佐藤特務曹長は寒気と疲労から朦朧とした状態だったと思われるが、特務曹長は将校である少尉と下士官の曹長の間の階級で、のちには准尉と呼ばれる。人事係などを務めた中隊の中核で、発言の意味は重かった。

睡魔に襲われたように昏倒する者が続出

〈風雪はますます激しく、前の者が踏み開いた道は分秒もたたずに痕跡を失って分からなくなった。日の光は暗く、朦朧とした月夜のよう。川岸に沿って鳴沢に出ようと、支流をさかのぼって進路を探し、方向を変えたが、積雪は胸を没し、断崖が諸所に横たわって近づけない。山腹の斜面をよじ登ったが、行軍の速度は1時間で500~600メートルにすぎなかった。

 ようやく高地に達すると、風雪は狂暴となり、寒気も厳しく、気温は氷点下25度以下と思われた。10メートル先の物も見えず、兵士の士気は挫折したようだった。正午ごろ、高地の小さな丘を通過。

 兵士は銃を背負って両手を腕組みするか外套のポケットに入れるかしているが、手足は凍傷に侵され、ほおとあごのヒゲや眉毛はつららとなり、顔は暗紅色に。睡魔に襲われたように昏倒して路傍に倒れる者が続出するまでになるなど悲惨な状況となった。刻一刻、凍傷患者が増え、叫び声が前後で聞こえるようになった〉