D級からの再スタート
――受験を終えて「さあ復帰」という2020年の3月に新型コロナウイルスの流行で研修会が休止になってしまったのですよね。焦りはありませんでしたか。
内山 休止は仕方ないことで焦りはありませんでした。ただ、半年のうちにできるだけ大会に出ようと思っていて、中でも高校生の全国大会・高校選手権は楽しみにしていたので、大会がことごとく中止になってしまったのは残念でした。
――研修会が再開されたのが高1の6月第1例会。そこから参加して6カ月48局、11月の第2例会でB2クラスをキープしたまま48局をクリアして申請を出し、12月1日付で女流棋士になりました。女流棋士番号が1つ前で、3カ月前に女流棋士になった野原女流初段は間に合った第1期白玲戦のA~D級を決めるリーグ戦に、内山先生は間に合わず、第2期のD級スタートになりました。研修会の休止がなければとか、中学のときに女流棋士申請をしていればという気持ちはありましたか。
内山 それはまったくなくて、D級から1つずつ上がればいいという気持ちでした。D級には2期いて今年がC級1期目です。白玲戦は1年分の組み合わせが前もって発表されるので、相手の研究などしっかり準備されて対局に臨む方が多いです。B級に上がりたい気持ちはもっているけれど、私は準備型ではないので、1期抜けは厳しいのかもと思っています。
――女流棋士になる少し前、2020年9月にはアマ予選を勝ち抜いて出場した白瀧あゆみ杯で女流棋士2人を破って優勝されました。そのときのピンクのお着物の写真が将棋連盟のプロフィール写真ですけれど、お気に入りの写真なのですか。
内山 私があの写真を使って下さいとお願いしたわけではなく、連盟の方であの写真を選んだようです。プロになってから3年以上変わっていなくて、「そろそろ新しい写真に……」と考えてはいるのですが、写真撮影に行っていません。
白瀧呉服店の素敵なお着物を着せていただいた写真は良い記念になって、同居していたこともある父方のひいおばあちゃんに見せることができました。高齢で外出は難しくなっていて、写真だけですけれど「綺麗だね」とすごく喜んでくれました。
――高校在学中は対局もお仕事も高校の制服でなさっていたようですが、昨年高校を卒業されました。その後はお召し物の準備が必要になったのではないでしょうか。
内山 はい。山根ことみ女流三段に相談したら「5セットそろえておくといいよ」と。それを参考にデパートに行き、店員さんに女流棋士であることを説明して「伸縮性があり、正座してもきつくならなくて、傷みにくい」など条件を話して一緒に探してもらいました。スカートはあまり好きではないので、パンツスーツにしました。自分ではパンツスーツのほうがかっこいいかなと思っています。襟付きのきちんと見えるシャツなども買いそろえました。