『世界から青空がなくなる日 自然を操作するテクノロジーと人新世の未来』(エリザベス・コルバート 著/梅田智世 訳)白揚社

 東京都の奥多摩に「人工降雨装置」が設置されていることをご存知だろうか。雲の中に雨粒の種となるヨウ化銀を撒き、人工的に降雨を促す装置だ。都がこの装置の使用を始めたのは1966年。1996年夏に利根川水系の取水制限率が30%になった際には40日間稼働した。しかし、2001年の夏に使用されたのを最後に現在は稼働していないという。

 テクノロジーを用いて気候をコントロールする。なんとも奇態に思える発想だが、本書では、人間活動によって引き起こされた環境問題を科学やテクノロジーの力で解決しようと奮闘する人々が登場する。たとえば、「外来種対策で川に電気を流す」「環境変化に耐えうるようにサンゴを人為的に進化させる」「遺伝子操作してカエルを無毒化」「大気中の二酸化炭素を回収して石に変える」「成層圏にダイヤモンドをまいて地球を冷やす」等々……。SFめいた酔狂なアイディアの集合のようにも見えるが、活動に取り組む当人たちはいたって真剣だ。

 人新世という言葉がある。人新世とは、ノーベル化学賞受賞者のドイツ人化学者パウル・クルッツェンらが提唱した地質時代区分であり、人類の活動が地球環境に大きな影響を与え始めたとされる時代を指す。人新世の開始時期については様々な議論がある。「大加速」と呼ばれる、第二次世界大戦後の人口増加と産業のグローバル化、それによる環境の変化といったトレンドが飛躍的に増加した時期を人新世の開始時期に置くのが一般的だ。他方で視野を広げて、新石器革命と農耕文明の始まりの時期に起源を置く論者もいる。まさにそのとき、人類による環境への不可逆的な介入がはじまったからだ。

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 プロメテウスがゼウスから火を盗んでこの方、人間の技術による環境へのアプローチが絶えたことはない。思えば、パンドラの箱はその時点ですでに開かれていたのだ。言い換えれば、人類はその初めから、ある種の「過剰」を孕んでいたのだともいえる(地球にとっては迷惑な話だが)。そうであるならば、人類と「無垢なる自然」が蜜月の関係を営んでいたとされる時代への回帰の試みは、単なるユートピア的な夢物語でしかないことにならないか。自然は人類と出会った瞬間から自然とは呼びがたい別の何かになっていた、としたら? そう、人類が存続する限り、自然は元に戻らない。ならば、選択肢は「過去か現在か」ではなく、「現在か未来か」だ。彼らはテクノロジー宿命論を胸に抱きながら、遠い未来を見据えている。

 近い将来、現在の気候条件を維持するための気候改変が必要になるかもしれない。成層圏に撒かれたダイヤモンドによって青空が白くなったとしても、私たちはそれを未だ自然と呼ぶべきなのだろうか。いずれにせよ、プロメテウスは取り返しがつかないことをしでかしたのだ。

Elizabeth Kolbert/ジャーナリスト。『ニューヨーク・タイムズ』紙記者を経て、1999年より『ニューヨーカー』誌記者として活躍。前作『6度目の大絶滅』でピュリッツァー賞(ノンフィクション部門)を受賞。現在は夫と子どもたちとともに、マサチューセッツ州ウィリアムズタウン在住。
 

きざわさとし/1988年生まれ。文筆家。著書に『ニック・ランドと新反動主義』『失われた未来を求めて』『闇の精神史』など。