『新しい国境 新しい地政学』(クラウス・ドッズ 著/町田敦夫 訳)東洋経済新報社

 ここでご紹介する訳書は、タイトルにこそ「地政学」という文字がついているが、最近流行している国家同士が争うようなイメージをもつ「地政学」の本ではない。むしろ地理と政治の微妙な関係というものを、ローカルからグローバルまでの規模で縦横無尽に語る、世界の地理好きには知的好奇心がそそられる良書である。

 原著者はイギリスのこの分野をリードする学者であり、すでに日本でも入門書として刊行された『地政学とは何か』(NTT出版)という本でおなじみだ。本書の特徴は、大きくわけて三点ある。

 第一に、これは「地政学」ではなくて「政治地理学」のイメージに近いということだ。わたしたちは「地政学」と聞くと「国家を中心にして戦略的な関係を見るもの」というイメージをもつかもしれない。戦前はナチス・ドイツに使われ、戦後はアメリカが世界戦略を語るときに使われたというものだ。これは国家戦略として古くから研究されている地政学なので「古典地政学」と呼ばれる。ところが本書での「地政学」は、名前こそ地政学だが、扱われているのは移民問題や国境紛争、宇宙の地理をめぐる争いから気候変動を踏まえた政治と地理の関係についての多角的なものであり、前述のように「政治地理学」とでも言うべきものだ。

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 第二はすでに述べたように、その議論の幅や視野が実に広いということだ。「国境」というキーワードを手がかりに、本書は地球上(もしくは宇宙!)のあらゆる場所で地理が政治問題になっている現象を幅広く紹介している。だがこれはNHKの人気番組である「ブラタモリ」とは微妙に違う。というのも、そちらは地形と都市の成り立ちなどの伝統的な地理学の範囲だが、ドッズのこの本の場合は、地理の変化をきっかけとして展開される政治的な動きの方に主眼をおく。人流や地形の変化、さらには異常気象や災害などで、常に国境が動き、それが政治問題になっていることを細かく見る部分が、まさに本書の読みどころだ。

 第三が、ある意味で現在のいわゆるSDGsなどを積極的に推進するエリートたちの思考を見せてくれるという点だ。本書の唯一の欠点はその主張や落とし所が見えにくい点だが、一貫して感じられるのは現在の気候変動に対する警戒感だ。これを受けて、終章では「国境が人々にもっと開かれ」れば良いという大きな結論は出てくるのだが、果たしてこのような主張が実際の国家の政治に反映可能なのかという疑問は残る。

 このような地理と政治をめぐるジレンマや、地球規模だが細かいレベルで実に多面的な問題が起こっていることをリアルな形で感じさせ、そこから地球の未来に思いをはせさせてくれるところに、本書を手に取る本当の価値があるのかもしれない。

Klaus Dodds/ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校教授。地政学研究に関する英国における第一人者で、専門はグローバルな地政学と環境安全保障。優秀な研究者に贈られるフィリップ・レバーホルム賞受賞。邦訳書に『地政学とは何か』がある。
 

おくやままさし/1972年生まれ。国際地政学研究所上席研究員。専門は地政学、戦略研究。著書『ビジネス教養 地政学』他、訳書多数。

新しい国境 新しい地政学

クラウス・ドッズ ,町田 敦夫

東洋経済新報社

2021年12月17日 発売